稲盛が仕事について、また人生について自問自答する中から生まれてきたのが、京セラフィロソフィと呼ばれる稲盛の経営哲学です。
京セラフィロソフィは、実践を通して得た人生哲学であり、その基本は「人間としてこういう生きざまが正しいと思う」ということです。
その考え方は、今のKDDIでも、KDDIフィロソフィとして受け継がれ、また、盛和塾の会員企業にも広く受け継がれています。
経営の原点であり、人生の判断基準ともなる、稲盛の経営哲学についてご案内します。 |
| (『敬天愛人』 p,19〜23より) |
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1959年、27歳のとき、一介のセラミック技術者であった私は、支援してくださる方々もあり、7人の仲間とともに、京都セラミツク(京セラの前身)を創業した。爾来約40年、京セラを中心とする企業グループの経営に、私は持てる力のすべてを傾注してきた。
私は、経営や人生の局面において、壁に突き当たり、悩みもがき苦しむとき、そのつど人間として何が正しいかという原点に立ち返ってものごとを考え、その原則に従って行動してきた。ところがその日々の集積は、いつの間にか信じられないような成果をもたらしてくれたのである。
集団が機能し、成果を生み出すためには、そのめざすべき方向が明確であり、その方向に集団を構成する全員のベクトルを合わせなければならない。企業であれば、ベクトルを合わせるのは、経営理念や社是と呼ばれる規範である。そして、そのベースには、根幹となる考え方あるいは哲学が存在しなくてはならない。私は、創業間もない頃から、一日一日を懸命に生きる中で学んだものを折に触れまとめて、「京セラフィロソフィ」として、全社員で共有するように努めてきた。
それは、人として生きる上での基本的な考え方、換言すれば「人間として正しいことを正しいままに追求する」ということをベースとしている。
このような「フィロソフィ」は、一見企業経営にとって無縁なものに映るかもしれない。しかし、私は人間のあるべき姿を追求することにより、経営のよって立つべき座標軸も明らかになると信じている。経営というものは、経営者の人格の投影でしかあり得ない。そのため、人間として正しい判断基準を持てば、それは必ず経営の実践の場においても有効に機能するはずである。 |
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