OIA Open Innovation Arena
  1. Home
  2. オープンイノベーションアリーナ
  3. Column
  4. SFプロトタイピング小説 公開!『海が囁くとき』後編

オープンイノベーションアリーナ

SFプロトタイピング小説 公開!『海が囁くとき』後編

この度、京セラでは、SF作家の先生とコラボレーションし、エネルギー分野の未来を考えるSFプロトタイピング・ワークショップを開催。ワークショップでのインスピレーションをご活用いただきつつ、林譲治先生にSFプロトタイピング小説『海が囁くとき』をご執筆いただきました。

全3回(前編・中編・後編)に分け、SFプロトタイピング小説『海が囁くとき』を公開いたします。
今回は後編をお届けします。どうぞお楽しみください。

海が囁くとき<後編> 林譲治

 星川イトイにとって、台風とは海嘯(かいしょう)35が管轄する洋上エネルギープラントの再配置問題と同義語だった。台風の規模によってはプラントを移動させれば済む。熱帯低気圧が台風になり、プラントを展開している海域に到達するには相応の日数がかかるので、早期に予測できたなら、安全圏への移動はそれほど難しくない。

 一般に台風の影響をもっとも受けると思われる洋上風力発電設備は、じつは台風には一番抗堪性が高い。設計時から台風への備えは盛り込まれているためだ。電力は蓄電船により輸送されるため、風力発電プラントは沖合に浮体工法で設置される。構造の大半が水面下であるので、高波にも強く、また風に流されることで、必要以上の風力を逃し、本体を守ることもできた。

 波浪の心配をしなければならないのは、波力発電や太陽電池筏の類である。通常は船で牽引して移動するが、緊急時には波浪の影響を受けない深度まで施設を海中に潜らせることも必要だった。言うまでもなく、これは最後の手段である。

 星川も南雲と同じ海嘯35に住んでいたが、同じKIRC360のメンバーなのに面識はほぼない。これは海嘯35そのものが、複数の人工島の集合体であるためだ。これはアジア地域の沿岸部の大都市が、台風や世界的な海面上昇に伴う高潮被害を受けた時、海嘯35を構成する人工島の一部が分離し、沿岸部へと移動することで、被災地に都市インフラを供給するためだ。これは海嘯35が無国籍の自由都市だから可能な芸当だった。

 星川イトイはKIRC360でのキャリアを、そうした危機管理対応のマネジメントで築いてきた。もっとも最近の彼の仕事は、危機管理よりもインフラ開発の要素が強い。

 たとえば海面上昇が顕著なハブ港には、都市を守る大規模な堤防が建設されたが、同時に、この堤防の内外の海面水位の落差を利用して、潮汐発電も行っていた。これは堤防内の海洋生態系の維持などにも貢献し、近海漁業を成立させていた。俯瞰すれば沿岸部での漁業資源確保はそのまま漁業におけるエネルギー節約にも連動していた。

 そんな星川にも今回のマキャベリと命名された台風は経験したことがないものだった。危機管理の前提となる、早期の針路予測が大きく変更されたからだ。

 星川は、蓄電船のオペレーションセンターに立っていた。そこには各種発電プラントと、電力を輸送する蓄電船の動きがリアルタイムで表示されている。星川はこの動きと配置から、事態打開のヒントがつかめるかもしれないと思ったのだ。

 「この予測どおりなら、一部プラントを海中に沈め、被害限局も考えねばならないな」

雷海

 海嘯35が管轄する危機管理については、星川イトイは広範囲な指揮権限を委ねられていた。これはKIRC360の階級ではなく、関連諸機関の構成員による直接的な議論で星川が担当者として選任され、指揮権が認められたのだ。柔軟な組織構造とAIの助力による密接な意思疎通が可能となった今日、かつては絵空事だった直接民主制を組織において実装できるようになった。

 さすがに国家レベルでそれを実現している国は数えるほどしかないが、KIRC360のような企業集団では広範囲に行われている。給与賞与でさえ、そうした方法で決められていた。

 だから星川の指揮権が認められる状況では、彼は各部門に必要な命令を出すことができた。もちろん星川にはブレーンとなるチームも複数あるので、彼の思いつきがそのまま実行はされない。それでも彼には方針を立てるという重大な責務がある。

 被害を最小に抑えるためにプラントを海中に沈めるというのは、現状では妥当な対策だが、それでも浮上させたプラントの復旧には相応の時間とコストがかかる。星川は不完全な情報の中で、そこまでの決断を下すことには躊躇いがあった。

 「バラクーダとつないでくれ、たしか潮マヤだったな」

 屋内なので飛行せず、星川の肩にオームのように載っているパーソナルドローンは、すぐに調査船バラクーダと回線をつなぐ。正面モニターの一部に潮マヤが現れる。

 「いいタイミング、こっちから連絡しようと思ってたところ。海水温度上昇の原因がわかった」

 「原因がわかった! 凄いじゃないか、それで何なんだ? 」

 「ある種の微生物が炭酸ガスから石油類似の分子を合成するって知ってる? 」

 その話は星川も耳にしたことがあった。温暖化とエネルギー問題解決の一石二鳥を狙って開発が進められているものだった。生産コスト面でも実用化に目処が立ち、数年のうちに工業化されるとのことだった。

 「回収したドローンから、それに似た微生物が検出された。遺伝子解析はまだだけど、何らかの突然変異種らしい。たぶん陸上の水系で発生したものの中で海中でも生存できた系統の子孫。イワシと共生関係にあって、微生物が外洋に流れた時に、それと行動を共にしたイワシの群れがいたようね。

 それでね、この微生物が生成する化学物質は炭化水素には違いないけど、非常に活性化が高くて不安定なの。エネルギーに転化しやすい利点もあるけど」

海洋渦
 

 「それが海面の温度上昇の原因だと! 」

 「この微生物が代謝を行うと海水の密度が下がる。その密度の違いが壁となって海流の中で孤立する。そして微生物は拡散しないまま孤立領域で密度を高めて繁殖する。これだけなら海水温に影響はない。だけど何かのきっかけで蓄積したエネルギー物質が解放されたら、周辺の微生物も刺激されて連鎖反応が起きて海水温が上昇するわけ。微生物は生きてるけどエネルギーは空っぽね」

 星川はすぐにことの重大さを悟った。すでに微生物がエネルギー放出を終えたとは言え、何日もエネルギーを蓄えたわけであり、それが一度に放出された時、その総量は台風の勢力を左右する。

 もちろん台風全体から見ればまだ微々たるものだ。しかし、気象とは複雑系である。台風の発達過程の重要な段階で投入されるエネルギー量が違えば、台風の規模も針路も違ってくる。

 星川はバラクーダや気象観測衛星などからの情報を呼び出し、状況を再確認し、あちこちに散っている自身のスタッフとも情報共有を行った。その中の何人かは、バラクーダにも乗り込んでいる。

 「いまの話だと海水密度の低い孤立領域に問題の微生物がいるんだな? 」

 「観測結果から推測すればね。孤立領域は意外に広いから、我々もまだ全域まで調査できていない」

 「わかった。とりあえず調査した領域での精密な海水温上昇と微生物の密度についてデータをくれ」

 潮は自分がデータを寄越すのではなく、バラクーダの星川のスタッフにデータ処理の権限を移譲した。確かにその方が話は早い。

 星川は必要なデータがまとまると、すぐに南雲にそれを渡し、マキャベリ台風の針路をシミュレートさせた。

 複数の場合に分けたシミュレーションの中に、星川の望んでいたものがあった。ただし、データについては、推測の域をでないものもある。しかし、その場合でも状況はいまよりも悪化しないことは確認してある。

 星川の計画でもっとも予測できなかったのは、周辺国の協力だった。それもKIRC360の対外折衝部の尽力で何とか解決した。予定海域に時間どおりのタイミングで、周辺国空軍の軍用機が爆撃を行った。その結果は半日後に明らかになった。

 「マキャベリ台風は台湾東方を北東方向に発達しながら進んでいます。しかし、明日にはその勢力は急激に衰えるようです」

 モニターの南雲の表情にはやっと安堵の色が見えた。その気持ちは星川も同じだ。

 「各国軍に爆撃させると聞いた時には、何を考えているのかと思いましたよ」

 「単純なことだ、問題の微生物が生息している孤立領域には海水温上昇が認められない領域がある。つまりそこの微生物は爆弾を抱えている。ともかくエネルギーを放出させることだ」

 「爆弾を抱えているから、爆破処理ですか」

 「そうすれば気象予測もずっとやりやすい。それにその領域で発達した台風は、孤立領域を抜けたら冷水域にぶつかるから台風の針路も変われば、勢力も収まる道理だ」

 口ではそう言いながらも、星川は多くの問題を推測に委ねなければならなかったことに薄氷を踏む思いだった。全権を掌握するとは、すべての責任を引き受ける覚悟がいる。逃げも言い訳も許されない。

 「しかし、この微生物は両刃の剣ですね。生物エネルギー部門は、この微生物が温暖化解消とエネルギー生産事業の強力な柱となると喜んでます。プラントからの温排水を微生物の培養に活用するとか応用は無限だとか」

 バラクーダから参加している潮マヤに星川は尋ねる。

 「新事業が立ち上がるなら目出度い話じゃないか。それのどこが両刃の剣なんだ? 」

 「しっかりしてくださいよ。この微生物、海洋に自生しているんですよ。気象予報を難しくするジョーカーみたい存在じゃないですか」

 それを聞いた星川は、首をふる。

 「何を言ってるんだ。自生した微生物については海洋調査船がデータを蓄積すれば予測は可能だ。それよりもっと重要なことがわからないか? 」

 「重要なことって、何です? 」

 「我々はこの微生物によって、気象制御の道具を手に入れたってことだ」

  
 
泡

(了)

著者:林 譲治(はやし じょうじ)

1962年2月 北海道生まれ。SF作家。日本SF作家クラブ会員(第19代会長)。
臨床検査技師を経て、1995年『大日本帝国欧州電撃作戦』(共著)で作家デビュー。
『ウロボロスの波動』『ストリンガーの沈黙』『ファントマは哭く』と続く《AADD》シリーズをはじめ、『小惑星2162DSの謎』(岩崎書店)『記憶汚染』『進化の設計者』(以上、早川書房刊)など、科学的アイデアと社会学的文明シミュレーションが融合した作品を次々に発表している。
《星系出雲の兵站》シリーズ(早川書房)にて第41回 日本SF大賞受賞。
最新刊は『大日本帝国の銀河」シリーズ』(早川書房)。
家族は妻および猫(ラグドール)のコタロウ。