技術
オールセラミック自動車エンジン
1970年代、稲盛は半導体⽤パッケージなどで培ったセラミック製造技術を、より⼤きな市場が⾒込める⾃動⾞部品をはじめとする産業機械部品へと展開する計画を立てていました。そこで⽬標として掲げたのが、不可能だと考えられていた「オールセラミックエンジン」の開発。
過酷な環境下で割れてしまうセラミックスの技術的な壁。その壁を打ち破ったのは、未知の領域を切り拓こうとする信念と、全社⼀丸となった果敢な挑戦でした。
⽶国エンジンメーカーが冷却系不要のセラミックエンジンの開発を進めているという情報が入ったとき、京セラは大きな決断を下しました。それは、従来のセラミックスが抱える問題を「新素材開発と信頼性保証」の両輪で解決し、セラミック産業の⾶躍を促す挑戦でした。金属のエンジンをセラミックスに置き換えることは、当時の常識では無謀ともいえましたが、「次にやりたいことは、私たちには決してできないと人から⾔われたことだ」という開発スピリットで踏み込んでいったのです。未来に向けて強烈な思いを抱き、⾃ら未知の分野を開拓していく「新たな挑戦」の始まりでした。
セラミックエンジンの開発に着⼿した時期は、オイルショックから⽇が浅く、⽇本政府も「ムーンライト計画」をスタートさせ、省エネルギー技術開発を推進していました。ディーゼルエンジンをセラミック化することで冷却エネルギーの損失を減らし、燃費向上に寄与するという開発意図は、まさに新しい⽇本の⽬指す進路であり、時代の要請に適うものでした。革新的な技術の創出にとどまらず、エネルギー消費が少なく⾼効率な製品を世に送り出すという社会貢献の意義を持っていたのです。

セラミックエンジンの開発メンバー
⾦属エンジンが⻑い歴史の中で築き上げてきた性能や信頼性を、短期間でセラミックスに置き換える道のりは、困難を極めました。⾼温下での激しい熱衝撃や、⾼速回転の衝撃に耐えきれず、セラミックスは幾度となく割れてしまいます。しかし、稲盛と京セラの技術者たちは、決して諦めませんでした。有限要素法による熱・応⼒解析の駆使、⾼強度⾼靭性材料の使⽤、応⼒緩和構造への形状改善など、あらゆる⽅策を講じて性能・耐久試験を繰り返したのです。偉⼤な成果は最初から⼿に⼊るものではありません。必ず実現できると信じて⼀歩⼀歩地味な努⼒を続け、試⾏錯誤を重ねた結果、徐々に満⾜できるエンジンへと近づいていきました。
そんな折、とあるテレビ局から正月特集番組でオールセラミックエンジンを紹介したいというオファーがありました。放映までは3か月。「従来から進めていた無冷却セラミックエンジンでいこう」という稲盛の指示で、シリンダーやピストンなど主要部品を窒化ケイ素で製作した排気量2800cc、3気筒無冷却のオールセラミックディーゼルエンジンを完成。不眠不休の総力戦でいすゞ自動車の「ジェミニ」へ搭載し、鹿児島の桜島溶岩道路での試走を実現しました。

「ジェミニ」に搭載された3気筒無冷却オールセラミックエンジン
このテレビ放映が大きな話題を呼び、国内外の注目を集め、日本におけるファインセラミックス研究・開発ブームを巻き起こす一大転機となりました。さらに京セラは開発を継続し、4気筒・1200cc・45馬力のセラミックエンジンで100時間の全負荷耐久試験にも成功しました。
最終的に、自動車用オールセラミックエンジンは、コストなどの課題から実用化には至りませんでしたが、この研究開発で培われた窒化ケイ素の製造技術や部品設計ノウハウ、耐熱性・耐久性評価の技術は、その後のディーゼルエンジンやガスタービン、各種産業機械用のセラミック部品開発に広く応用されました。

桜島溶岩道路を走るセラミックエンジンカー