エピソード

松風工業入社(1955年)

大学卒業後の1955年、稲盛は京都の老舗碍子メーカーである松風工業に就職しました。
当時の雇用情勢はたいへん厳しく、旧帝大の学生でも就職は狭き門だったと言います。いくら成績が良くてもコネの無い新設大学の学生など、どの企業も相手にしてくれませんでした。そのため、稲盛が研究分野を有機化学から無機化学に変え、教授の推薦を得てようやく入れた会社が松風工業でした。しかしその実態は、労働争議が頻発する赤字続きの会社だったのです。

給与は遅配、寮の部屋はボロボロ。寄ると不満ばかり口にしていた同期たちは、やがて皆去っていき、他に行くところのなかった稲盛だけが取り残されました。辞めることもかなわず、「それなら研究に没頭しよう」と前向きに考え方を切り替え、稲盛は朝から深夜まで研究に打ち込むようになったのです。

すると、すばらしい実験結果が出るようになりました。
いい結果を出すと上司にもほめられる、おもしろくなって努力すると、またいい結果が出て役員まで声をかけてくれる。心の持ち方を変えた瞬間、好循環が生まれだしたのです。