エピソード

恩人たちとの出会い(1958年)

稲盛が松風工業を去ることが決まると、特磁課の部下たちが口々に辞めてついていくと言い出し、やがて稲盛が存分に技術開発をできる新会社をつくろうという動きが始まりました。
しかし、資金はありません。青山と稲盛は、青山の大学時代の友人であり宮木電機の専務であった西枝一江氏と常務の交川有氏へ出資の依頼に行きました。

「どんな優秀な技術者か知らないが、26か27歳の人間にできるような、そんな簡単なものではない」とけんもほろろな交川氏に「稲盛君の情熱は並外れている。必ず大成する」と返す青山。すると交川氏は「情熱だけで事業は成功するのか」と返します。
青山と稲盛は何度も足を運び、情熱を込めてファインセラミックスの将来性について語り、最終的に西枝、交川両氏と宮木電機製作所の宮木男也社長の3人が出資してくれることになりました。

西枝氏は稲盛に「あんたの話を聞いて感じるものがありました。それで仕事をしてもらうことに決めました」と伝え、さらに「金に使われてはいけない」「君を中心に集まった人たちみんなの会社なのだから、みんなが株を持ってがんばりなさい」と加えました。
西枝氏は、設備の購入や運転資金に、家屋敷を抵当に入れて1,000万円を銀行から借り入れ、そのことを相談された夫人は、「男が男に惚れてお金を出すのだから、私は構いませんよ」と笑って答えられたそうです。

3人の出資者は、株を所有して会社を支配するのではなく、稲盛に賭けたのであり、失敗すれば出した出資金が消えることは覚悟の上でした。
恩人たちの温かい後押しがあったからこそ、京セラはその歴史の第一歩を踏みだせたのです。

(左から)宮木男也氏・交川有氏・西枝一江氏