稲盛ライブラリー

3F 思想:展示内容

「フィロソフィ」とは

どのようにして生まれたのか

京セラを経営していく中で、私はさまざまな困難に遭遇し苦しみながらもこれらを乗りこえてきました。その時々に、仕事について、また人生について自問自答する中から生まれてきたのが京セラフィロソフィ(以下フィロソフィ)です。

フィロソフィは、実践を通して得た人生哲学であり、その基本は「人間としてこういう生きざまが正しいと思う」ということです。このような生き方で人生を送っていけば、一人ひとりの人生も幸福になり、会社全体も繁栄するということを、私は訴え続けてきました。

どのような考え方なのか

フィロソフィは、「人間として何が正しいのか」、「人間は何のために生きるのか」という根本的な問いに真正面から向かい合い、さまざまな困難を乗り越える中で生み出された仕事や人生の指針であり、京セラを今日まで発展させた経営哲学です。

このフィロソフィには、大切な4つの要素が含まれています。

1つ目は、「会社の規範となるべき規則、約束事」です。この会社はこういう規範で経営をしていきますという、企業内で必要とされるルール・モラルが要素の1つとして含まれています。

2つ目は、「企業が目指すべき目的、目標を達成するために必要な考え方」という要素です。企業が目指すべき、高い目標を達成するためにどういう考え方をし、またどういう行動をとらなければならないのかということが具体的に述べられています。

3つ目は、「企業に素晴らしい社格を与える」という要素です。人間に人格があるように企業にも人格があるはずです。会社の人格、つまり「社格」が大変立派であり、世界中から「さすが立派な社格を備えた会社だ」と信頼と尊敬を得るための考え方が示されています。

この3つの要素は、企業がさらに発展するためにたいへん重要なものですが、フィロソフィにはそれらのベースとなる大切な4つ目の要素があります。

それは、「人間としての正しい生き方、あるべき姿」を示すという要素です。私たち一人ひとりが、より良い人生を送るために必要な人生の真理を表しています。

このような4つの要素から成り立つフィロソフィは、知識として理解するのではなく、日々の仕事や生活において実践していくことが何よりも大切です。その実践に向けた弛まぬ努力が、その人の心を高め、人格を磨くことになります。そのようなフィロソフィを共有した人たちが集う集団には、夢と希望にあふれる明るい未来が必ずや拓けることを、私は確信しています。

人生について

すばらしい人生を送るために

人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力

人生・仕事の結果は、考え方×熱意×能力という一つの方程式で表すことができる、と私は考えています。

私が「方程式」にたどり着くまで

それは、中学受験、大学受験、そして就職試験と、ことごとく志望がかなわなかった私が、「自分のような平凡な人間が、すばらしい人生を生きていこうと思うなら、いったい何が必要になるのだろう」ということを、働き始めたときから、いつも考えていたからです。

また、周りを見ると、仕事や人生で成功を重ねていく人もいれば、失敗してしまう人もいます。そうした人々を目にしながら、「なぜ、人生や仕事でうまくいく人と、うまくいかない人がいるのだろう。そこには何か法則のようなものがあるのだろうか」と考えてもいました。

そのようなことから、京セラを創業して間もなく、この方程式を思いつき、以来、それに従って、仕事に励み、人生を歩んできました。

私の「方程式」

この方程式は、「能力」「熱意」「考え方」という三つの要素から成り立っています。

「能力」とは、知能や運動神経、あるいは健康などがこれにあたり、両親あるいは天から与えられたものです。先天的なものであるために、個々人の意志や責任が及ぶものではありません。
「能力」に「熱意」という要素が掛かってきます。これも、やる気や覇気のまったくない、無気力で自堕落な人間から、人生や仕事に対して燃えるような情熱を抱き、懸命に努力を重ねる人間まで、やはり個人差があります。

ただし、この「熱意」は、自分の意志で決めることができます。

私は、この「熱意」を最大限にしようと、誰にも負けない、際限のない努力を続けてきました。

これに「考え方」が掛かってきます。私は、この「考え方」がもっとも大切であると考えています。掛け算ですから、マイナスの考え方を持っていれば、「能力」があればあるほど、「熱意」が強ければ強いほど、大きなマイナスになってしまいます。プラスの「考え方」を持っていれば、人生・仕事の結果は、さらに高いプラスの値となるのです。『働き方』

一日一日をど真剣に生きる

人生はドラマであり、一人一人がその主人公です。大切なことは、そこでどういうドラマの脚本を描くかです。

運命のままにもてあそばれていく人生もあるかも知れませんが、自分の心、精神というものをつくっていくことによって、また変えていくことによって、思いどおりに書いた脚本で思いどおりの主人公を演じることもできるのです。人生というのは、自分の描き方ひとつです。ボケッとして生きた人と、ど真剣に生きた人とでは、脚本の内容はまるで違ってきます。

心に描いたとおりになる

ものごとの結果は、心に何を描くかによって決まります。「どうしても成功したい」と心に思い描けば成功しますし、「できないかもしれない、失敗するかもしれない」という思いが心を占めると失敗してしまうのです。

心が呼ばないものが自分に近づいてくることはないのであり、現在の自分の周囲に起こっているすべての現象は、自分の心の反映でしかありません。

夢を描く

現実は厳しく、今日一日を生きることさえ大変かもしれません。しかし、その中でも未来に向かって夢を描けるかどうかで人生は決まってきます。自分の人生や仕事に対して、自分はこうありたい、こうなりたいという大きな夢や高い目標を持つことが大切です。

高くすばらしい夢を描き、その夢を一生かかって追い続けるのです。それは生きがいとなり、人生もまた楽しいものになっていくはずです。

自らを高めるために

心を高める

私たちの生きる目的

人生の目的はどこにあるのでしょうか、もっとも根源的ともいえるその問いかけに、私はやはり真正面から、それは心を高めること、魂を磨くことにあると答えたいのです。

昨日よりましな今日であろう、今日よりよき明日であろうと、日々誠実に努める。その弛まぬ作業、地道な営為(えいい)、つつましき求道(ぐどう)に、私たちが生きる目的や価値がたしかに存在しているのではないでしょうか。

現世とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場である。人間の生きる意味や人生の価値は心を高め、魂を錬磨することにある。まずは、そういうことがいえるのではないでしょうか。俗世間に生き、さまざまな苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながらも、やがて息絶えるその日まで、倦(う)まず弛(たゆ)まず一生懸命生きていく。そのプロセスそのものを磨き砂として、おのれの人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも高い次元の魂をもってこの世を去っていく。私はこのことより他に、人間が生きる目的はないと思うのです。『生き方』

人として正しい生き方

小学校の道徳のようなことをいう――と笑う人がいるかもしれません。しかし、その小学生のときに教わったようなことを、私たち大人が守れなかったからこそ、いまこれほどまでに社会の価値観が揺らぎ、人の心が荒廃しているのではないでしょうか。

いま、子どもに向かって堂々とモラルを説ける大人がどれほどいるか。これはしてはいけないことだ、あれはこうすべきだと、明確に規範を示し、倫理を説ける。そういう識見と精神、重厚な人格を有した人物がどれだけ出てきたか。

それを思うと、私なども忸怩(じくじ)たる思いにとらわれないわけにはいきません。

正しい生き方とは、けっしてむずかしいことではないはずです。子どものときに親から教わった、ごく当たり前の道徳心――嘘をつくな、正直であれ、人をだましてはいけない、欲張るな――そういうシンプルな規範の意味をあらためて考え直し、それをきちんと遵守(じゅんしゅ)することがいまこそ必要なのです。『生き方』

常に謙虚であれ

世の中が豊かになるにつれて、自己中心的な価値観をもち、自己主張の強い人が増えてきたといわれています。しかし、この考え方ではエゴとエゴの争いが生じ、チームワークを必要とする仕事などできるはずはありません。そこで集団のベクトルを合わせ、良い雰囲気を保ちながら最も高い能率で職場を運営するためには、常にみんながいるから自分が存在できるという認識のもとに、謙虚な姿勢をもち続けることが大切です。

常に明るく

人生はすばらしく、希望に満ちています。常に「私にはすばらしい人生がひらかれている」と思い続けることが大切です。決して不平不満を言ったり、暗くうっとうしい気持ちをもったり、ましてや人を恨んだり、憎んだり、妬んだりしてはいけません。そういう思いを持つこと自体が人生を暗くするからです。

非常に単純なことですが、自分の未来に希望をいだいて明るく積極的に行動していくことが、仕事や人生をより良くするための第一条件なのです。

宇宙の意志と調和する

この世には、すべてのものを進化発展させていく流れがあります。これは「宇宙の意志」というべきものです。この「宇宙の意志」は、愛と誠と調和に満ち満ちています。そして私たち一人一人の思いが発するエネルギーと、この「宇宙の意志」とが同調するのか、反発しあうのかによってその人の運命が決まってきます。

宇宙の流れと同調し、調和をするようなきれいな心で描く美しい思いを持つことによって、運命も明るくひらけていくのです。

仕事を向上させるために

仕事を好きになる

自分が燃える一番よい方法は、仕事を好きになることです。どんな仕事であっても、それに全力を打ち込んでやり遂げれば、大きな達成感と自信が生まれ、また次の目標へ挑戦する意欲が生まれてきます。その繰り返しの中で、さらに仕事が好きになります。そうなればどんな努力も苦にならなくなり、すばらしい成果を上げることができるのです。

仕事に「恋をする」

恋をしている人は、他人が唖然とするようなことを、平然とやってのけるものです。
仕事も同様です。仕事に惚れて、好きにならなければなりません。
他人からは、「あんなにつらく、あんなに厳しい仕事は、たいへんだろう。とても続かない」と思われるような場合も、惚れた仕事なら、好きな仕事なら耐えられるはずです。
仕事に惚れる――。
仕事を好きになる――。
だからこそ、私は長い間、厳しい仕事を続けることができたのです。

人間は、好きな仕事ならば、どんな苦労も厭(いと)いません。そして、どんな苦労も厭わず、努力を続けることができれば、たいていのことは成功するはずです。
つまり、自分の仕事を好きになるということ――この一事で人生は決まってしまうと言って過言ではありません。
充実した人生を送るには、「好きな仕事をするか」「仕事を好きになるか」のどちらかしかないのです。しかし、好きな仕事を自分の仕事にできるという人は、「千に一人」も「万に一人」もいるものではありません。また、希望する会社に入社することができたとしても、希望する職場に配属され、希望する仕事に就ける人など、ほとんどいないはずです。

大半の人は、人生の門出を「好きでもない仕事」に就くことから、スタートすることになるのではないでしょうか。
しかし問題は、多くの人が、その「好きでもない仕事」に不承不承(ふしょうぶしょう)、従事し続けていることです。与えられた仕事に不平不満を持ち続け、愚痴や文句ばかりを言っている。それでは、すばらしい可能性を秘めた人生を、あたらムダにしているようなものです。

なんとしても、仕事を好きにならなければなりません。
「与えられた仕事」を、まるで自分の天職とさえ思えるような、そういう心境にしていくことが大切なのです。「仕事をやらされている」という意識を払拭できないうちは、働く「苦しみ」を逃れることはできません。

私は、若い人たちに強調したいのです。
「自分の好きな仕事を求めるよりも、与えられた仕事を好きになることから始めよ」と。自分の好きな仕事を求めても、それは「青い鳥」を探しているようなものです。そのような幻想を追うよりも、目の前の仕事を好きになることです。

好きになれば、どんな苦労も厭わず、努力を努力と思わず、仕事に打ち込めるようになる。仕事に打ち込めるようになれば、おのずと力がついていく。力がついていけば、必ず成果を生むことができる。成果が出れば、周囲から評価される。評価されれば、さらに仕事が好きになる。
こうして好循環が始まるのです。
まずは、自分の強い意志で仕事を好きになる。他に方法はありません。そうすることで、人生は実り豊かなものになっていくのです。『働き方』

地味な努力を積み重ねる

大きな目標を掲げても、日々の仕事の中では、一見地味で単純と思われるようなことをしなければならないものです。

しかし、どのような分野であっても、すばらしい成果を見出すまでには、改良・改善の取り組み、基礎的な実験やデータの収集、足を使った受注活動などの地味な努力の繰り返しがあるのです。

偉大なことは最初からできるのではなく、地味な努力の一歩一歩の積み重ねがあってはじめてできるということを忘れてはなりません。

完全主義を貫く

90パーセントうまくいくと「これでいいだろう」と妥協してしまう人がいます。しかし、そのような人には、完璧な製品、いわゆる「手の切れる製品づくり」はとうていできません。「間違ったら消しゴムで消せばよい」というような安易な考えが根底にあるかぎり、本当の意味で自分も周囲も満足できる成果を得ることはできません。

常に創造的な仕事をする

一生懸命取り組みながらも、常にこれでいいのか、ということを毎日毎日考え、反省し、そして改善、改良していくことが大切です。決して昨日と同じことを漫然と繰り返していてはいけません。毎日の仕事の中で、「これでいいのか」ということを常に考え、同時に「なぜ」という疑問をもち、昨日よりは今日、今日よりは明日と、与えられた仕事に対し、改善、改良を考え続けることが創造的な仕事へとつながっていきます。

経営について

真のリーダーになるために

人間として正しいことを正しいままに貫く

人間として何が正しいかという判断基準は、人間が本来持つ良心に基づいた、最も基本的な倫理観や道徳観です。「欲張るな」「騙してはいけない」「嘘を言うな」「正直であれ」など、誰もが子供の頃に両親や先生から教えられ、よく知っている、人間として当然守るべき、単純でプリミティブな教えです。

日常の判断や行動においては、こうした教えに基づき、自分にとって都合がよいかどうかではなく、「人間にとって普遍的に正しいことは何か」ということから判断していかなければなりません。

人間として正しいことを追求する

私はまったく経営というものを知らなかったのですが、縁あって27歳のときに京セラという会社をつくっていただき、経営することになりました。従業員28名の小さな会社でしたが、創業するとすぐに決めなくてはならないことが山ほど出てきました。「これはどうしましょうか」と次々社員が決裁を求めてきます。

私にはそれまで経営の経験があるわけでもなく、経済も経理も知りませんでしたが、それでも判断を下していかなくてはなりません。私は何を基準に判断していけばいいのか分からず困り果てていました。

悩み続けた結果、「人間として何が正しいのか」をベースにして、つまり、最も基本的な倫理観に基づき、「人間として正しいことなのか」「正しくないことなのか」「善いことなのか」「悪いことなのか」を基準にして判断していくことにしたのです。

現在の社会は、不正が平然と行われていたり、利己的で勝手な行動をとる人がいたりと、決して理想的なものではないかもしれません。しかし、世の中がどうであろうと、私は「人間として何が正しいか」を自らに問い、誰から見ても正しいことを、つまり、人間として普遍的に正しいことを追求し、理想を追い続けようと決めたのです。

「人間として正しいことを追求する」ということは、どのような状況に置かれようと、公正、公平、正義、努力、勇気、博愛、謙虚、誠実というような言葉で表現できるものを最も大切な価値観として尊重し、それに基づき行動しようというものです。

いま考えてみますと、何の経営の経験もない私が、京セラやKDDIをそれなりの企業に育てることができましたのも、このような「人間として正しいこと」をひたすら追求してきたからだと思うのです。『成功と失敗の法則』

渦の中心になれ

仕事は自分一人ではできません。上司、部下をはじめ、周囲にいる人々と一緒に協力しあって行うのが仕事です。その場合には、必ず自分から積極的に仕事を求めて働きかけ、周囲にいる人々が自然に協力してくれるような状態にしていかなければなりません。これが「渦の中心で仕事をする」ということです。

ベクトルを合わせる

人間にはそれぞれさまざまな考え方があります。もし社員一人ひとりがバラバラな考え方にしたがって行動しだしたらどうなるでしょうか。

それぞれの人の力の方向(ベクトル)がそろわなければ力は分散してしまい、会社全体としての力とはなりません。

全員の力が同じ方向に結集したとき、何倍もの力となって驚くような成果を生み出します。1+1が5にも10にもなるのです。

私心のない判断を行う

人はとかく、自分の利益となる方に偏った考え方をしてしまいがちです。みんなが互いに相手への思いやりを忘れ、「私」というものを真っ先に出していくと、周囲の協力も得られず、仕事がスムーズに進んでいきません。

私たちは日常の仕事にあたって、自分さえよければという利己心を抑え、人間として正しいか、私心をさしはさんでいないかと、常に自問自答しながらものごとを判断していかなければなりません。

新しいことに挑戦するために

思いは必ず実現する

「思い」は必ず実現します。物事を成功に導こうとするなら、強い「思い」を持たなければなりません。

ただ思うだけでも、「思い」は私たちの人生を作っていきますが、それが潜在意識にまで入っていくような思い方をすれば、その「思い」はもっと実現に近づいていきます。さらにその「思い」をより美しく、純粋なものにしていけば、最も大きなパワーをもって実現していくのです。

「思い」が持つ強大な力

一般には、「思い」がそれほど強い力を持っているとは考えられていません。しかし、「思い」は、私たちの想像を超えた、強大な力を持っているのです。

ただし、その「思い」とは、美しく、素直で、明るく、邪心がない、つまり一言で言えば、純粋な「思い」でなければなりません。

私たちはときに、そのような純粋な「思い」を持った人が、難しい仕事を簡単に成し遂げてしまう様を見聞します。

例えば、優れた能力を持った人たちをしても逡巡してしまうような困難なプロジェクトを、純粋な「思い」を持ち、強く実現を願い続けている人がためらいもなく進める。周囲はいかに難しいかを知っているので、「いまに失敗するだろう」と見ていると、意外なことに難なく成功させてしまう。そんなことに遭遇して不思議に思うのです。

それは、純粋な「思い」がどんなに優れた知性にもまさる、強大なパワーを持っているからだと私は考えています。「他に善かれかし」と願う、美しい「思い」には、周囲はもちろん天も味方し、成功へと導かれる。一方、いくら知性を駆使し、策を弄しても、自分だけよければいいという低次元の「思い」がベースにあるなら、周囲の協力や天の助けも得られず、様々な障害に遭遇し、挫折してしまうのです。

私にも経験があります。第二電電(現KDDI)を始めるときのことです。国民のため通信料金の低減を図ろうとして、通信事業への参入を意図したものの、私は半年間にわたり、自分の「思い」がどのようなものかを問い続けました。「動機善なりや、私心なかりしか」という言葉に込めて、第二電電起業の「思い」に「不純なものはないのか」と、自分に厳しく問うていったのです。

毎晩欠かさず自問自答を続けて、半年後に「自分のエゴではない」ということを確信することができ、ようやく通信事業に参入しました。すると、そのような私の「思い」に、第二電電の社員をはじめ多くの人々が共感し、心から協力してくれました。その結果、物理的な条件では最も不利だといわれた第二電電が、今日まで成長発展を遂げることができたのです。『成功と失敗の法則』

潜在意識にまで透徹(とうてつ)する、強い持続した願望を持つ

高い目標を達成するには、まず「こうありたい」という強い、持続した願望をもつことが必要です。

純粋で強い願望を、寝ても覚めても、繰り返し繰り返し考え抜くことによって、それは潜在意識にまでしみ通っていくのです。このような状態になったときには、日頃頭で考えている自分とは別に、寝ているときでも潜在意識が働いて強烈な力を発揮し、その願望を実現する方向へと向かわせてくれるのです。

人間の無限の可能性を追求する

仕事において新しいことを成し遂げられる人は、自分の可能性を信じることのできる人です。現在の能力をもって「できる、できない」を判断してしまっては、新しいことや困難なことなどできるはずはありません。人間の能力は、努力し続けることによって無限に拡がるのです。

常に自分自身のもつ無限の可能性を信じ、勇気をもって挑戦するという姿勢が大切です。

楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する

新しいことを成し遂げるには、まず「こうありたい」という夢と希望をもって、超楽観的に目標を設定することが何よりも大切です。

しかし、計画の段階では、「何としてもやり遂げなければならない」という強い意志をもって悲観的に構想を見つめなおし、起こりうるすべての問題を想定して対応策を慎重に考え尽くさなければなりません。

そうして実行段階においては、「必ずできる」という自信をもって、楽観的に明るく堂々と実行していくのです。

事業を伸ばすために

心をベースとして経営する

会社の発展のために一人一人が精一杯努力する、経営者も命をかけてみんなの信頼にこたえる、働く仲間のそのような心を信じ、私利私欲のためではない、社員のみんなが本当にこの会社で働いて良かったと思う、すばらしい会社でありたいと考えてやってきました。

心が偉大な業績を生む

私は、人の心をベースにした経営を行ってきました。言い換えれば、どのようにすれば、強固で信頼しあえる心の結びつきというものを企業内において実現できるかということに、焦点を絞って経営を進めてきました。

愛されるためには愛さなければならないように、心をベースにした人間関係を築くには、素晴らしい心の持ち主に集まってもらえるような素晴らしい心を、経営者自らが持たねばなりません。
そう考え、私は経営者としてのわがままを自戒しています。私心をなくして、社員が心を寄せてくれる会社のために命をかける、というくらいの気持ちで仕事をしています。

確かに人の心ほど、はかなく移ろいやすく頼りないものもありません。しかし、世の中でこれくらい強固で重要なものもないのではなかろうかと思います。歴史をひもといてみても、人の心の結びつきがもたらした偉大な業績は枚挙にいとまがありません。また逆に、人心の荒廃が、集団の崩壊をもたらした例も我々は数多く知っています。

心は心を呼ぶということを忘れてはなりません。

信頼は自らの内に築く

信じられる人間関係がなければ、企業経営は成り立ちません。

では、信じあえる人間関係とは、どのようにしてできるのでしょうか。私は、最初、信じられる仲間をつくろうと思いました。つまり、自分の外に、信頼関係を求めたのです。しかし、そうではありませんでした。自分自身の心が、誰からも信じてもらえるようなものでなければ、信じあえる人たちは集まってこないのだと気づきました。信じられる人間関係とは、自分の心の裏返しだったのです。

私も人に裏切られたことは、何回もあります。しかし、それでも構いません。人を徹底して信じていこうと考えています。自分自身の心が相手の信頼に足る心であるかどうかということを、常に自問自答しながら、自分の心をより良いものに高めていこうと思うのです。

たとえ、常に自分が損をしたとしても、人を信じていく、その中でしか信頼関係は生まれません。信頼とは、外に求めるのではなく、自らの心の内に求めるものなのです。『心を高める、経営を伸ばす』

大家族主義で経営する

人の喜びを自分の喜びとして感じ、苦楽を共にできる家族のような信頼関係を大切にしてきました。
家族のような関係ですから、仲間が仕事で困っているときには、理屈抜きで助けあえますし、プライベートなことでも親身になって話しあえます。人の心をベースとした経営は、とりもなおさず家族のような関係を大切にする経営でもあるのです。

「値決めは経営」を貫く

経営の死命を制するのは値決めです。値決めにあたっては、利幅を少なくして大量に売るのか、それとも少量であっても利幅を多く取るのか、その価格決定は無段階でいくらでもあるといえます。

どれほどの利幅を取ったときに、どれだけの量が売れるのか、またどれだけの利益が出るのかということを予測するのは非常に難しいことですが、自分の製品の価値を正確に認識したうえで、量と利幅との積が極大値になる一点を求めることです。

「売上最大、経費最小」を徹底する

経営とは非常にシンプルなもので、その基本はいかにして売上を大きくし、いかにして使う経費を小さくするかということに尽きます。利益とはその差であって、結果として出てくるものにすぎません。したがって私たちはいつも売上をより大きくすること、経費をより小さくすることを考えていればよいのです。

常識や固定概念にとらわれてはなりません。売上最大、経費最小のための努力を、日々創意工夫をこらしながら粘り強く続けていくことが大切なのです。

経営の王道を歩むために

心を高める、経営を伸ばす

「心を高める」、つまり心を磨き、立派な人格をつくるようにつとめ続けることで、常に正しい判断を行い、経営を伸ばしていくことができるのです。

どうして心を高めなければならないのか

会社が小さいうちはうまく治めていたはずの経営者が、会社規模が大きくなるにつれ、経営者として役割を果たせなくなるということが、往々にしてあるはずです。

それは、単に能力のみならず、その集団のリーダーの人間性が、組織の発展に合わせて高まっていかなかったために起こることだと私は考えています。組織の拡大に伴い、発生する問題も次第に大きくなり、高度化し、複雑化していきますが、人間性が高まっていなければ、その新しい局面に対応できなくなってしまうのです。
企業の業績をさらに立派なものにしていこうとするなら、経営者がその人間性を高め、人格を磨いていく以外に方法はありません。だからこそ、私は「心を高める、経営を伸ばす」ということを申し上げ、人格を高めることが業績や組織を伸ばすことになるということを、ことあるごとに説いてきたのです。

なぜ経営者は心を高め続けなければならないのか。それは、経営において正しい判断を下すためです。企業の業績とは、経営者が下した判断が累積した結果であり、そうであるなら、経営者は正しい判断を続けなければならないのです。そして、常に正しい判断を行うには、確固たる判断基準が求められてきます。

ところが、一般には、判断を迫られた場合、「損得」を基準に判断をすることがほとんどなのです。それが自分にとって損か得か、そのような利己的な欲望をもとに判断をするものですから、往々にして誤った決断を下してしまうのです。

正しい結論を求めるなら、「人間として何が正しいのか」ということ、つまり、ことの「善悪」に照らし、ものごとの是非を判断していかなければならないはずです。

ここに、常に「心を高める」努力を続けなければならない理由があります。「心を高める」ことを怠るなら、その判断基準は次元の低い、損得をもとにしたものとなり、結論を誤ってしまうのです。心を磨き、立派な人格をつくるようにつとめることで、善悪にもとづく正しい判断が可能となり、経営の舵取りを誤ることなく、事業を伸ばしていくことができるのです。

「盛和塾」第18回全国大会 塾長講話(2010年9月8日)

闘争心を燃やす

仕事は真剣勝負の世界であり、その勝負には常に勝つという姿勢でのぞまなければなりません。

私たちはえてして、ひるんでしまったり、当初抱いていた信念を曲げてしまうような妥協をしがちです。こうした困難や圧力をはねのけていくエネルギーのもとはその人の持つ不屈の闘争心です。格闘技にも似た闘争心があらゆる壁を突き崩し、勝利へと導くのです。

どんなにつらく苦しくても、「絶対に負けない、必ずやり遂げてみせる」という激しい闘志を燃やさなければなりません。

すむ世界を変える

同じ業界にありながら、黒字と赤字というように好対照の業績を示す企業があります。

いずれの企業でも懸命に努力をしています。しかし赤字が黒字企業と同じ努力を続けていては、いつまでも現状を打破することはできません。

赤字企業は、一気呵成にたいへんな努力を払う必要があるのです。例えば、黒字企業の何倍ものコストダウンに集中的に取り組むことで、黒字化を果たし、競合企業をキャッチアップすることができます。このように、一気に現状改革をはかることを、「すむ世界を変える」というのです。

世のため人のために尽くす

「世のため人のために尽くす」ことが人間としての最高の行為です。

人間は「自分だけよければいい」と利己的に考えがちです。しかし本来、人間は人を助け、他の人のために尽くすことに喜びを覚える、美しい心を誰もが持っています。

利己的な思いが強すぎると、美しい心は表に出てこないのです。利己的な思いを抑え、「利他」の心をもって「世のため人のために」尽くさなければなりません。

「経営12カ条」について

私は、京セラとKDDIの経営に携わるなかで、経営を成功に導く原理原則を12項目にまとめ、それを「経営12カ条」と呼んできました。
経営というと、複雑な要素が絡み合い、とかく難しく考えがちですが、私は複雑な現象の中から原理原則を抽出することでシンプルに理解するようにしています。つまり、経営とはその要諦さえ体得することができれば、決して難しいものではないと考えています。
「IHA2002KYOTO」基調講演(2002年4月6日)

第1条

事業の目的、意義を明確にする
―公明正大で大義名分のある高い目的を立てる―

第2条

具体的な目標を立てる
―立てた目標は常に社員と共有する―

第3条

強烈な願望を心に抱く
―潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つこと―

第4条

誰にも負けない努力をする
―地味な仕事を一歩一歩堅実に、弛まぬ努力を続ける―

第5条

売上を最大限に伸ばし、経費を最小限に抑える
―入るを量って、出ずるを制する。利益を追うのではない。利益は後からついてくる―

第6条

値決めは経営
―値決めはトップの仕事。お客様も喜び、自分も儲かるポイントは一点である―

第7条

経営は強い意志で決まる
―経営には岩をもうがつ強い意志が必要―

第8条

燃える闘魂
―経営にはいかなる格闘技にもまさる激しい闘争心が必要―

第9条

勇気をもって事に当たる
―卑怯な振る舞いがあってはならない―

第10条

常に創造的な仕事をする
―今日よりは明日、明日よりは明後日と、常に改良改善を絶え間なく続ける。創意工夫を重ねる―

第11条

思いやりの心で誠実に
―商いには相手がある。相手を含めて、ハッピーであること。皆が喜ぶこと―

第12条

―常に明るく前向きに、夢と希望を抱いて素直な心で―

六つの精進

  1. 誰にも負けない努力をする
  2. 謙虚にして驕らず
  3. 反省のある毎日を送る
  4. 生きていることに感謝する
  5. 善行、利他行を積む
  6. 感性的な悩みをしない