稲盛ライブラリー

4F 社会活動:展示内容

稲盛財団

稲盛財団のあゆみ

1984年(52才) 財団法人稲盛財団設立
1985年(53才)

第1回稲盛財団研究助成金贈呈式開催
第1回京都賞授賞式開催
三笠宮崇仁親王殿下・百合子妃殿下(1992年まで)
スウェーデン・シルヴィア王妃ご臨席
ノーベル財団に「京都賞創設記念特別賞」を授与

1990年(58才) 京都賞受賞者の天皇・皇后両陛下への拝謁開始(2003年まで)
1993年(61才) 高円宮憲仁親王殿下・久子妃殿下、京都賞授賞式ご臨席(2002年まで)
1997年(65才) 研究助成金受給者を会員とする交流組織「盛和スカラーズソサエティ」発足
2001年(69才)

東京にて「日米リーダーシップ会議」開催
京都にて京都賞受賞者による「高校特別授業」開始

2002年(70才)

米国カリフォルニア州サンディエゴで「京都賞シンポジウム」(Kyoto Prize Symposium)開始
米国戦略国際問題研究所(CSIS)内に共同で「アブシャイア・イナモリ リーダーシップアカデミー(AILA)」を設立

2003年(71才)

イナモリフェロー第1期生をAILAに派遣
高円宮妃久子殿下、稲盛財団名誉総裁にご就任

2004年(72才)

第1回CSISフォーラム開催
京都賞20周年記念フォーラム「科学と人類の未来‐科学技術は人類社会にどう貢献できるか‐」開催

2005年(73才) 京都賞受賞者と大学生の直接対話を目的とした「学生フォーラム」開始
2006年(74才) 京都賞受賞者と小・中学生の交流を目的とした「キッズ・イベント」開始
2007年(75才)

米国のケースウエスタンリザーブ大学に寄附を行い「倫理と叡智のための稲盛国際センター」設立を支援
アンゲラ・メルケル ドイツ首相の来日記念シンポジウムを毎日新聞社と共催

2008年(76才)

米国ケースウエスタンリザーブ大学が第1回稲盛倫理賞授賞式開催
京都大学へ「稲盛財団記念館」寄贈

2009年(77才)

九州大学へ「稲盛財団記念館」寄贈

2011年(79才)

財団法人稲盛財団から公益財団法人稲盛財団へ組織名称変更
東日本大震災復興ボランティア団体への助成を実施

2012年(80才) 大阪大学に稲盛財団寄附講座「グローバルな公共倫理とソーシャルイノベーション」設置
2014年(82才)

アル・ゴア元米国副大統領による財団設立30周年記念講演会「青い地球は誰のもの‐地球環境と人類の持続可能性‐」開催
京都賞受賞者鹿児島講演会を後援
第1回京都大学‐稲盛財団合同京都賞シンポジウム(KUIP)を開催

2016年(84才)

ジョン・ノイマイヤー「京都賞」受賞記念ハンブルク・バレエ団日本公演に特別協賛
松山バレエ団"新「白鳥の湖」全幕"京都公演を開催(財団設立30周年記念事業)

2017年(85才) 英国オックスフォード大学において「Kyoto Prize at Oxford」開始
2019年(87才) 小学生向け教育イベント「こども科学博」を初開催

稲盛財団の設立(1984年)

人のため世のために役立つことをなすことが、人間として最高の行為である

稲盛は若い頃から技術者、経営者として真摯に仕事に取り組み、京セラの発展とともに、相当の個人的資産を得ることができました。しかし稲盛には、「個人の資産は社会からの一時的な預かり物で、いつかは社会にお返しすべきもの」という思いがあり、自らがファインセラミックスの研究開発で様々な賞を受ける中で、「自分がいただくのではなく、差し上げる側にならなければ」と強く感じるようになりました。

その後さらに思いを深めた稲盛は、自らの人生観を具現化し、これまで自分を育んでくれた社会にお返しをするため、1984年4月、52歳の時に、私財約200億円を投じて稲盛財団を設立しました。

稲盛財団は次の3つの事業を通して、国際相互理解の増進に努め、人類の平和と繁栄に貢献することを目的としています。

  1. 「京都賞」顕彰事業
  2. 研究助成事業
  3. 社会啓発事業

京都賞

京都賞の理念

「私は昭和34年(1959年)に京セラ株式会社を設立し、セラミックの技術者として、エレクトロニクス・セラミックス、エンジニアリング・セラミックス、ストラクチャー・セラミックス等、さまざまなセラミック材料の開発に努力し、ニュー・セラミックス、ファイン・セラミックスの時代といわれる今日を築くことに、大いなる貢献を果してきたと思っております。

創立25周年、4分の1世紀を経過した今日、我々は今までの昼夜を分かたぬ、誰にも負けない努力の成果と、同時に神の導きがあって、年間売上額2,300億円、税引前利益530億円(1)という企業にまで発展をして来ました。この時にあたり、かねてから私の人生観である「人のため、世のために役立つことをなすことが、人間として最高の行為である」という理念にもとづき、私が現在所有している京セラ株式会社の株式および現金、計約200億円(2)相当を醵出し、人類の科学の発展、文明の発展、又精神的な深化、高揚の面に著しく貢献した人々に対し、京都賞を贈呈し、人類の進歩、発展にいささかでも貢献したいと思い、ここに京都賞の創設をいたしました。

この京都賞を受賞される資格者は、京セラの我々が今までにやってきたと同じように、謙虚にして人一倍の努力を払い、道を究める努力をし、己を知り、そのため偉大なものに対し敬虔なる心を持ちあわせる人でなければなりません。またその業績が世界の文明、科学、精神的深化のために、大いなる貢献をした人でなければなりません。さらにその人は自分の努力をしたその結果が真に人類を幸せにすることを願っていた人でなければなりません。

この京都賞を創設するについてはふたつの大きな理由があります。ひとつは、冒頭に述べた私自身の人生観にありますように、この世に於ける人類の最高の行為は、「人のため、世のために尽す」ということでありますので、今日まで私をはぐくんでくれた人類および世界のためにお返しをしたいということであります。ふたつには、人知れず努力をしている研究者にとって、心から喜べる賞が世の中にあまりに少ないことであります。少なくとも人一倍努力をし、人類の科学、文明、精神的深化の面で著しく貢献をした人を顕彰し、今後その面でのますますの発展の刺激になってくれればという気持からであります。

今後、人類の未来は、科学の発展と人類の精神的深化のバランスがとれて、初めて安定したものになるであろうと確信いたしております。現在、科学文明はますます発展をとげておりますが、人類の精神面における研究は、科学に対して大きく遅れをとっております。物事には、陰と陽、暗と明というように、プラスとマイナスという必ず二面的な世界が拡がっているはずであります。この両面がバランス良く解明され、発展してこそトータルの安定が果せるはずで、一方の面だけでの発展、肥大化は、宇宙のバランスをくずし、人類の不幸につながっていくと思っております。願わくは、この京都賞がこの両面の今後の発展に大きく寄与し、新しい哲学的パラダイムの構築を促進するいささかの刺激剤となれば、この上なく幸せに思います。

昭和59年4月12日 稲盛 和夫

(1)1984年3月末の決算金額
(2)1984年財団設立当時の金額

人類の未来は、科学の発展と人類の精神的深化のバランスがとれて、初めて安定したものになる

京都賞の創設

京都賞とは
  1. 科学や文明の発展、また人類の精神的深化・高揚に著しく貢献した方々の功績を讃える国際賞です。
  2. 毎年、先端技術部門、基礎科学部門、思想・芸術部門の3部門で授与されます。
    自然科学だけでなく、思想・芸術をも加えた3部門としたことが、京都賞の大きな特徴です。
  3. 候補者は、稲盛財団が年ごとに信任する国内外の有識者により推薦されます。
    そして選考は、各部門専門委員会・審査委員会、および京都賞委員会の3段階からなる京都賞審査機関によって行われます。
  4. 受賞者は毎年6月に決定し、授賞式および関連行事は毎年11月に京都で開催されます。
  5. 受賞者にはディプロマ、京都賞メダルおよび一賞につき賞金一億円が贈られます。
授賞対象分野

京都賞は、先端技術部門、基礎科学部門、思想・芸術部門の3部門があり、さらに各部門とも4つの分野に分かれ、年ごとに授賞対象分野が定められています。

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審査選考について

京都賞の選考は、毎年、各部門で定められた授賞対象分野において財団より指名された国内・海外の有識者から推薦を受けた候補者を対象に、京都賞審査機関によって行われます。まず、当該分野の専門家による各部門の専門委員会によって候補者が絞り込まれ、各部門の審査委員会において、これらを中心に、より広い見地から選考が行われます。さらに京都賞委員会において、総合的な見地から京都賞の理念に照らした審査が行われ、最終的に理事会の承認を得て、受賞者が決定されます。

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関連行事

京都賞授賞式

稲盛財団では、毎年11月10日、錦秋の京都に受賞者を迎えて授賞式を開催すると定め、財団設立の翌年、1985年11月に第1回京都賞授賞式を挙行しました。第1回を記念し、20世紀における人類の文化・学術の発展に多大な貢献を行ったとしてノーベル財団に特別賞を贈り、ノーベル財団の理事長ならびに審査委員長全員が受賞のために揃って来日されました。またノーベル財団の受賞を祝って、スウェーデン王国のシルヴィア王妃もご臨席されました。

受賞者の天皇拝謁

1990年より2003年までの14年間、受賞者は皇居に参上し、天皇・皇后両陛下に拝謁しました。

京都賞ウイーク

受賞者の来日に合わせ、授賞式の前後1週間を京都賞ウイークとして、様々な行事を開催しています。授賞式に先立ち、9日には、京都府・京都市・稲盛財団共催の歓迎レセプション、10日の授賞式と晩餐会、11日には受賞者が自らの人生観・世界観を市民にわかりやすく語りかける記念講演会、12日には、部門ごとに受賞者の業績に関連した専門家や研究者を対象としたワークショップを開催、さらに小・中学生、高校生、大学生をそれぞれ対象とした青少年育成プログラムも実施しています。

海外への展開

京都賞シンポジウムの開催

京都賞授賞式に出席して感銘を受けたサンディエゴ大学アリス・ヘイズ学長(当時)の提案により、2002年より、サンディエゴで京都賞シンポジウムを開始しました。以後、現地NPOやカリフォルニア大学サンディエゴ校、ポイント・ロマ・ナザレン大学が中心となり、毎春に受賞者を迎えての講演会や、地元コミュニティによる慈善晩餐会(ゲーラ)が開催され、今では、サンディエゴ市を挙げての一大イベントとなっています。

Kyoto Prize at Oxfordの開催

稲盛財団と英国オックスフォード大学は、互いの価値観や哲学を共有し、2016年にパートナーシップを締結。翌年、同大学ブラバトニック公共政策大学院においてKyoto Prize Oxfordが始まりました。毎年5月に当該年度の受賞者を英国に招聘し、公開講演やパネル討論など知的刺激にとんだイベントを開催しています。第1回には稲盛理事長が「欲望の文明から利他の文明へ」と題して特別講演を行い、同大学名誉総長のクリストファー・バッテン卿と「Inamori Forum」銘板の除幕式を行いました。

善意の連鎖

京都賞の賞金の使途について稲盛は、「研究一筋の人生を送ってきた方々を慰労するために差し上げたので、賞金はご自身のために使っていただければと思っています。」と述べていますが、受賞者の中には後進の育成や研究機関の充実のために寄附する方もおられます。

  • アンジェイ・ワイダ氏(第3回精神科学・表現芸術部門)
    賞金の全額を使って、「京都-クラコフ基金」を設立し、ポーランドに日本美術センターを建設。
  • ダニエル・ジャンセン博士(第13回基礎科学部門)
    賞金の全額を使って、熱帯林保全のための基金を設置。
  • 赤﨑勇博士(第25回先端技術部門)
    京都市立西京高等学校にLEDモニュメント「青色の滴」を寄贈。その他にも、名古屋大学と名城大学に奨学金、応用物理学会と日本結晶成長学会にも寄附を実施。

稲盛財団の事業

若手研究者への支援

若い研究者にできるだけ束縛のない形で資金を提供することで、独創的で将来性のある研究活動を自由に行ってほしい

研究助成金制度の設立 1985年

稲盛は若い頃、資金不足の中で研究を続け、苦労した経験から、若手研究者を支援するために本制度を設置しました。1985年に第1回助成金贈呈式を挙行し、以後毎年50名程度に、一人100万円の研究助成金を贈呈しています。稲盛は、「将来、この中から京都賞受賞者が選ばれてほしい」と願っていましたが、2010年には、2004年の助成金受給者である山中伸弥博士(2012年ノーベル医学・生理学賞受賞)が京都賞先端技術部門受賞者に選ばれました。

盛和スカラーズソサエティ発足 1997年

「盛和スカラーズソサエティ」は、助成金受給者の相互の交流と親睦のために発足しました。稲盛は発足にあたり、「今日の科学技術はそれぞれの分野でより専門化が進む傍ら、ビッグサイエンスとしていろいろな分野の研究者の知識の結集によらなければ解決できないものも多くあります。今後この交流を通じて積み重ねられる思索と論議に触発されて、ひとつの思念が生まれ、大きなエネルギーの波となって周囲の共鳴を呼び起こすことを期待しています」と述べています。

稲盛科学研究機構(InaRIS)フェローシップ 2019年

稲盛財団は、2019年の設立35周年を機に、従来の稲盛研究助成とは大きくコンセプトの異なる新しい研究助成プログラム「稲盛科学研究機構(InaRIS:Inamori Research Institute for Science)フェローシップ」をスタートしました。

人類の知の拡大に欠かせない基礎科学の研究において、短期的に成果を求めるのではなく、好奇心の赴くまま存分に、壮大なビジョンと大きな可能性を秘めた研究に取り組んで欲しいという願いを実現するために、フェローに対して10年間にわたって毎年1,000万円(総額1億円)の助成を行います。フェローには、自身の実績に立脚しながら、たゆまぬ探究心に基づいた長期的な視野で挑戦的な研究を推進し、新しい分野の開拓、発見や発明によって、研究者としてより一層飛躍することを期待します。

InaRISはネットワーク型の研究機構で、その運営は運営委員会によってなされます。InaRISでは、フェローが他のフェローや運営委員と意見交換や議論をする機会を設けています。このような機会を通して、フェローには研究を深化・発展させるとともに、広く深い見識を備えていただきたいと考えています。

学ぶを育む

こども科学博 2019年

2019年、稲盛財団は、こどもたちの自発的に学ぶ心を応援するエンターテインメント型の教育イベントとして「こども科学博」を立ち上げました。こども科学博では、こどもたちが科学を楽しむことを通じて、世界に満ちている不思議と、その不思議を解決できる自らの可能性に気づく機会を創出することにより、科学とこどもたちの接点を広げ、将来の日本の学力や科学力の水準を高めることを目指しています。

本イベントを象徴するメイン展示「キヅキノキ」では、こどもたちが体験や展示を楽しむ中で発見した驚きや疑問"キヅキ"を、こどもたち自らが自分の言葉で形にし、大きなスクリーンに映し出します。こどもたちの自由な発想による"キヅキ"は周りの参加者とも共有され、こどもたちのさらなる好奇心や探求心を呼び起こしていきます。
第1回こども科学博は、2019年8月に「宇宙のふしぎ」をテーマに京都市勧業館「みやこめっせ」にて開催され、2日間で約12,800人が来場しました。

京都大学一稲盛財団合同京都賞シンポジウム 2013年

2013年、稲盛財団と京都大学は「京都大学―稲盛財団合同京都賞シンポジウム(Kyoto University-lnamori Foundation Joint Kyoto Prize Symposium: 略称KUIP)」の開催に関する覚書を締結しました。KUIPは、京都賞への理解を広げることで世界中の研究者や芸術家を刺激し、科学技術・芸術の振興に寄与することを目的として京都大学が主催、企画・運営するもので、当財団は共催として支援しています。2014年に第1回が京都大学で開催され、専門分野の研究者や学生のみならず、一般市民にも開かれたシンポジウムとして実施されています。2018年の第5回からは会場を東京へ移し、京都賞受賞者を招聘して開催しています。最先端の研究や学問・芸術の動向を発信するだけでなく、同じ分野同士、さらには領域を越えた研究者間での意見交換の場を設けるなど、学問の新たな発展への貢献が期待されています。

「稲盛倫理賞」

ケースウエスタンリザーブ大学が主催する「稲盛倫理賞」は、稲盛財団の寄附を基金にして設立された、倫理の研究や活動を通して人類社会の向上に多大な貢献をし、模範的なリーダーシップを実践した個人に贈られる賞です。

倫理の探究

人類が共通で持っている良心によって導かれる新しい倫理を、世界に訴えたい

「倫理と叡智のための稲盛国際センター」設立支援 2005年

アメリカオハイオ州にあるケースウエスタンリザーブ大学は、倫理に重点を置いた教育・研究を展開しています。以前より京セラが同大学に教授職を設置していた関係で、稲盛は2002年に「企業倫理とリーダーシップ」というテーマで講演しました。その後、同大学が「倫理と叡智のための稲盛国際センター」設立を計画、稲盛財団より支援の寄附を行い、2007年に設立されました。

教育支援

青少年育成プログラムの実施

京都賞受賞者の来日を機に、若い人たちが受賞者から直接知的刺激を受け、科学への興味にとどまらず、人類や世界の未来に想いを馳せる機会になることを期待して、青少年向けの様々な教育プログラムを実施しています。小・中学生を対象に、科学や芸術のすばらしさ、大切さを受賞者がわかりやすく語りかけるキッズ・イベント、高校生を対象に科学の楽しさや奥深さを説く高校フォーラム、大学生や専門学校生が様々なテーマをもとに受賞者と直接意見交換する学生フォーラム等、世界の知性を代表する京都賞受賞者と、未来を担う若い世代との積極的な交流の場を提供しています。

学術支援

京都大学へ「稲盛財団記念館」を寄贈 2008年

21世紀の新たな知の拠点を確立したいという京都大学からの申し出を受け、京都大学へ「稲盛財団記念館」を寄贈しました。館内には大学院アジア・アフリカ地域研究科、こころの未来研究センター、稲盛記念ホール等が併設されています。

九州大学へ「稲盛財団記念館」を寄贈 2009年

大学創立100周年を機に、「知の新世紀を拓く」新しい教育研究拠点を構築したいという九州大学の趣旨に賛同し、伊都キャンパス内に「稲盛財団記念館」を寄贈しました。館内には「稲盛フロンティア研究センター」が併設されています。

大阪大学に寄附講座を設置 2012年

大阪大学創立80周年にあたり、大学院国際公共政策研究科に寄附講座「グローバルな公共倫理とソーシャルイノベーション」を設置しました。本講座では国際協力活動における課題や、現代の科学技術文明が直面する問題の解決に向けて実践する人材が持つべき責任感や倫理観について究明します。

盛和塾

盛和塾について

盛和塾は、1983年に稲盛が京都の若手経営者から「いかに経営すべきか教えてほしい」と依頼されたことを機に立ち上がった自主勉強会に端を発しています。日本の経済を支える中小企業の経営者が素晴らしい経営をすることで、地域社会、ひいては国をも支えるという信念のもと、真剣に学ぶ塾生と稲盛の切磋琢磨の場となりました。

稲盛は「心を高め、経営を伸ばして従業員を幸せにすることが経営者の使命である」とする経営哲学に基づき、盛和塾活動に手弁当で取り組みました。
全国展開構想により各地に拡大、2019年末の解散時には国内56塾、海外48塾、塾生数も約15,000名を数えるまで発展しました。

主な活動として、塾長例会、世界大会、国内、海外ツアーが開催され、更に各地の塾がそれぞれに開催する自主例会で学びを深めました。また、稲盛の講話をはじめ経営者の貴重な体験談を収めた機関誌「盛和塾」が発刊され、学びを支える重要な教材となりました。

2003年より各地の塾生が一般市民にも稲盛の話を聞いてもらいたい、との思いから始めた「市民フォーラム」は、盛和塾活動が社会に果たす役割の幅を更に広げることになりました。

2019年末、盛和塾は、稲盛の高齢と「盛和塾は一代限り」の信念のもと、惜しまれながらも閉塾しました。36年にわたって稲盛が伝えた「利他の心」「人間として何が正しいのか」という考え方は、国を超えて広がり、経営者の判断基準として企業の発展に寄与するとともに、より良い社会を育む上で貢献しています。

盛和塾の誕生

京都の若き経営者の方々から、同じ経営に携わり悩んできた人間としていかに経営をなすべきかを聞きたいとの要望がありました。

何度も頼まれるうちに自分も社会のお世話になって今日があることに気付くとともに、多少なりともそのお返しとしてボランティアで私の経験と経営理念を伝えていくことは、若き経営者の方々の参考にもなり、ひいては日本の経済、世界の経済にとっても良きことではないかと思うようになりました。

こうして、私の経営理念、人生観を勉強する自発的な若き経営者の集い『盛和塾』が誕生したのです。

若手経営者にはトップとして持つべき
「経営哲学」こそ伝えたいのです。
トップの器が大きくなれば、
会社も自然と発展すると確信しています。

「盛和塾」全国組織化趣意書

企業経営に携わる人はその企業の大小にかかわらず社員を含めた企業の安定的発展を願うがゆえに毎日懸命の努力を続けております ひとたび企業を興しもしくは継承してその頂点にたったときから 一度でも失敗があれば自分を含め全従業員が蒙る悲惨さを想像し日夜一瞬たりとも気の休まる間もなく不安と焦燥に駆られながら必死に経営を続けているのが常態ではないかと思います

特に戦後45年を過ぎ今まで順調に成長発展を続けてきた日本ならびに世界の経済も1990年代のはじめからいよいよ構造的な転換期に入っています 20世紀末を目前にして世界は波乱と激動の時代に突入しようとしていますだけに経営者としてはなおいっそう気を引き締めていかなければなりません 私は大学を卒業してから四年間セラミックの研究者として過ごした後 ちょうど今から32年前に28名の京セラ株式会社を興して以来 今日に至るまで企業経営に心血をそそいでまいりました 現在京セラは国内海外あわせて従業員総数26,000名 年間総売上5,000億円の企業群を形成しておりますし6年前に興した電気通信事業を営む第二電電株式会社は従業員1,500名 年間売上1,500億円にまで成長してきております

私は創業の当時から 企業の経営はそのトップの持つ哲学 心 理念 信念というものによって大きく左右されるのではないかと考え 経営者として自分の人格を磨き心を高めより高い思想を持つよう努力してまいりました そして今日企業経営も人生の歩みもすべてその人の心の状態によって決まるのではないかという考えに到達いたしております それは私自身の過去の経験から見て真実であるように思えるのです

今から7, 8年前京都の若き経営者の方々から同じく経営に携わり悩んできた人間として如何に経営をなすべきかの考えを聞きたいとの要望があり 何度も頼まれているうちに自分も京都という地域社会のお世話になって今日あることに気付くとともに多少なりともそのお返しとしてボランティアで私の経験と経営理念を伝えていくことは若き経営者の方々の参考にもなり ひいては日本の経済 世界の経済にとっても良きことではないかと思うようになりました こうして京都において私の経営理念 人生観を勉強する自発的な若き経営者の集い「盛和塾」が誕生したのです その会合に参加した人たちが自発的に分塾を作りはじめ 大阪 神戸 滋賀 鹿児島 富山 東京 と現在計7塾に至っています

かねて若き塾生の方々が真剣に私の話を聞かれて まるで海綿が水を吸収するように吸収され実践し実際の経営に大きな効果を上げておられるのを目のあたりにいたしまして 私自身もたいへんうれしく思ってまいりましたが 最近にいたって多くの塾生の方から自分たちが塾長の謦咳に接し勉強することができるのはうれしい限りではあるけれども 全国にはもっと数多くの若い経営者の方々がおられるのでこれらの人達にも同じように話し 多くの企業経営者がさらに立派になるようにしてあげてほしいという要望が出てまいりました

私自身時間の制約はありますが 明年は還暦を迎えることでもありますので最善の努力を払い及ばずながら私の経営理念 人生観を語ることによって多くの若き経営者の方々の人格 心を高め その結果それぞれの企業が繁栄し従業員が幸せに ひいては世界 人類が平和で幸せになる経営の実現に役立てばと考え ここに塾生の勧めもあって若き経営者5,000人による「全国盛和塾組織化」を思いたった次第です

経営の要諦は先にも申し上げましたようにトップの持つ心にあります 経営の神髄を感得して経営者の心が変わるならば必ず経営は順調にいくと私は思います 自分自身の人徳を高め企業の安定と隆盛をはかることを希望される方のご参集を心から願っております

1991年 盛和塾塾長 稲盛和夫

盛和塾の広がり

一人で生きていくのが大変な世の中で、たとえ中小企業であろうと、従業員とその家族を守っているのですから、経営者は大変立派であると思います。

そういう重責を背負う経営者たちが、お互いに腹を割って悩みを打ち明け、励まし合い、研鑽する場として、盛和塾活動の輪は広がっていきました。

塾生数の推移

1991年に「100塾5,000名構想」が打ち出され、全国組織化が展開されました。2018年には塾数が100、塾生数が13,610名に達しました。海外においては、1993年に盛和塾ブラジルが誕生し、その後も2019年の閉塾まで、米国、中国など世界各地に盛和塾は広がり、国境を越えて次世代の経営者を育成しました。

塾長例会

塾長講話

塾長講話では、「会社の目的は何か」「経営者はどのような考え方を持つべきか」など、稲盛が自らの経営を通じて体得した経営哲学が説かれました。

経営問答・経営体験発表

塾長講話とともに「経営問答」と呼ばれる経営指導が行われ、塾生が直面している経営上の切実な問題を具体的に発表し、稲盛自身が全身全霊を傾けて答えました。
また、「経営体験発表」では、塾生が自らの経営体験やそこから得た気付きを発表し、会場の塾生は、発表者の話と稲盛のコメントを聴くことによりその体験を共有しました。

盛和塾世界大会/自主例会

盛和塾世界大会

1992年より始まった盛和塾全国大会は、2011年から「盛和塾世界大会」と名称を改め、年に一度、二日間にわたって開催。経営を真摯に学ぼうとする盛和塾生たちが、国内外から多数参加し、会場全体が熱気と一体感に包まれました。

自主例会

各塾で自主的に行われた勉強会です。塾生による経営体験発表、稲盛塾長の書籍の輪読会、DVD視聴など、それぞれの塾で特色のある勉強会を開催し、塾生同士が研鑽を積みました。

「経営の要諦は、トップの持つ心にある。
経営の真髄を感得して、
経営者の心が変わるならば、
経営は必ず順調にいく。
自分自身の人徳を高め、
企業の安定と隆盛を志す、
全国の経営者たちよ 集え」

盛和塾のあゆみ

1980年(48才) 稲盛の京都青年会議所での講演を機に、京都の若手経営者が集い、稲盛から経営のあり方を学ぶ勉強会を開始
1983年(51才)

稲盛を塾長とする「盛友塾」発足(塾生25名)
勉強会参加希望者の増加にともない、より組織的な活動を行うべく「盛友塾」が発足
勉強会継続の要望を受けた稲盛は、自身の経営理念、人生観を伝え、次代を担う経営者を育てることで、少しでも社会に恩返しができればとの思いからこれを承諾

1986年(54才) 兵庫、大阪、滋賀の経営者が盛友塾に出席し、盛和塾全国展開の足掛かりとなる
1989年(57才)

「盛友塾」を「盛和塾」に名称変更
「企業の隆盛と人徳の和合」「稲盛和夫の姓と名から1字ずつ」という塾生の提案で「盛和塾」と変更

1990年(58才)

世話人連絡会にて、「もっと多くの若い経営者に塾長の薫陶を受ける機会を」との合意がなされ、全国組織化方針決定
塾長例会で塾生の「経営体験発表」を開始

1991年(59才)

稲盛が「盛和塾全国組織化趣意書」を作成
盛和塾が全国に広がる(100塾5,000名構想)

1992年(60才)

機関誌[盛和塾]創刊
第1回盛和塾全国大会開催
塾長例会で「経営問答」を開始

1993年(61才) 初の海外塾として盛和塾「ブラジル」開塾
2002年(70才) 一般市民を対象とした「市民フォーラム」を鳥取県米子市で初めて開催
2004年(72才) アメリカ初の塾として盛和塾「USA」(のちの盛和塾「ロサンゼルス」)開塾
2007年(75才) 中国初の塾として盛和塾「無錫」開塾
2008年(76才) 塾生数が5,000名を突破
2010年(78才)

稲盛の日本航空会長就任にともない、塾生がJAL応援団を結成
「塾長のお役に立ちたい」「今こそ塾長に恩返しをする時だ」という声が上がり、塾生による「-盛和塾JALを応援する55万人有志の会-JAL応援団」が結成される
搭乗者数55万人を目標に、当時5,500人の塾生が、各自100人の知り合いに呼びかけるとともに、JALスタッフに応援カードを手渡す等の活動を行った
稲盛和夫(北京)管理顧問有限公司(中国における盛和塾統括組織)の開設

2011年(79才) 盛和塾全国大会を盛和塾世界大会に名称変更
2016年(84才) 韓国に盛和塾「韓国」開塾
2017年(85才) シンガポール発の塾として盛和塾「シンガポール」開塾
2018年(86才) 100塾突破(100塾5,000人構想達成)
2019年(87才) 12月末をもって閉塾

多岐にわたる社会活動

人材育成・学術支援

稲盛京セラ西部開発奨学基金(中国)の設立

稲盛と京セラは、中国西部地区における、品行方正、かつ、学業に秀でているが、経済的な困難を抱えている大学生を資金面で支援する「稲盛京セラ西部開発奨学基金」を2001年に設立しました。

毎年、中国の12の大学で学ぶ大学生に対して奨学金を授与し、人材育成を通して同地区の発展に貢献しています。

鹿児島大学 稲盛アカデミーの設立

2008年4月、鹿児島から熱意あふれるリーダーを輩出してほしいという思いから、稲盛は母校鹿児島大学に「稲盛アカデミー」を発足させました。同アカデミーでは、人間力の総合的育成を目指して、倫理や哲学に関する講義を学生に提供し、自らの理念やビジョンを模索するリーダーの育成を目指しています。

京都三大学の教養教育共同化施設「稲盛記念会館」

京都府による京都府立医科大学、京都府立大学、国立京都工芸繊維大学の教養教育共同化計画に対して、稲盛は「三大学の若い学生たちが人間性を養う教養を広く身につけ、互いに交流することは大変意義がある」とその趣旨に賛同し、支援を行いました。2014年9月に竣工された教養教育共同化施設は、「稲盛記念会館」と名付けられ、17の教室、実験室、自主室、レストラン等を備え、稲盛の即席や思想を紹介する「稲盛記念展示室」も一般公開されています。

鹿児島大学へ京セラ株100万株を寄贈

2017年、鹿児島大学に、稲盛の持つ京セラ株式100万株を寄贈しました。
11月、同大学で受納式が開かれ、稲盛は式典で、「私を育んでくれた母校鹿児島大学の先生方、ならびに将来ある学生に役立てて頂けたらと思っています」と述べました。鹿児島大学では基金を新たに設け、学生の海外留学の支援や研究者の育成などに活用されます。

社会活動

日米21世紀委員会の開催

日米21世紀委員会は、日米関係の現在と将来のあるべき姿について議論をするために発足した委員会です。日本側は宮澤喜一元総理(名誉委員長)、堺屋太一氏(委員長)らが名を連ね、アメリカ側は、ジョージ・H・W・ブッシュ元大統領(名誉委員長)、ウィリアム・E・ブロック元USTR代表(委員長)らが参加しました。1996年6月から1998年5月までの2年間にわたり、計4回の委員会が開催され、日米を代表する25名の論客が、日米両国の果たすべき役割について建設的な議論を行い、「日米21世紀宣言」を両国首脳に提言しました。

一般市民を対象とする「市民フォーラム」の開催

「一般市民の方々にも稲盛塾長の話を直接聞いてもらえる場所を設けたい」。そのような盛和塾生の願いを聞いた稲盛は、「よりよい社会をつくるお手伝いができるのであれば」と賛同し、全国各地でボランティア講演の「市民フォーラム」を開催しました。市民フォーラムの中で、稲盛は人生の目的について、人間は心を磨き続けることにより、すばらしい人生を送ることができると説きました。

世界各地の盛和塾が主催した市民フォーラムは、日本を中心に、海外ではアメリカやブラジルでも開催され、2016年までに59回、延べ参加者数は10万人以上となりました。参加した多くの老若男女より深い感銘を受けたという反響が寄せられました。

「京都大和の家」の開設

昨今増加する児童虐待や育児放棄により、家族から離れて生活することを余儀なくされている子供たちが生活する施設として、2004年に稲盛は私財を投じて、京都府南部の精華町に児童養護施設・乳児院「京都大和の家」を創設しました。

施設の建物は、南欧風の明るいデザインを取り入れ、児童・生徒計60名、乳幼児20名が入所できます。児童養護棟の内部は10名単位で生活できる6つの家庭的な生活ユニットに分けられ、小中学生は毎週5日の公文式学習が受けられるなど、自立支援や家庭復帰のためのきめ細かい支援を行っています。

なお、2003年には公益財団法人稲盛福祉財団を設立し、京都府内において児童養護施設を退所する子供たちが社会人として自立した社会生活を営んでいけるように経済的に支援しています。

地域貢献

鹿児島市へ文化公園内モニュメント等を寄贈

1980年、鹿児島市より「市民文化ホール建設に資金面から援助してほしい」と依頼された稲盛は、貧しい学生時代に鹿児島市から奨学金を受けた経験を思い出し、郷土への恩返しの気持ちを込めて寄付を行いました。

その寄付金は、市民文化ホール文化公園内モニュメントの建立のみならず、鹿児島市愛の福祉基金の創設や稲盛の母校である玉龍高校創立40周年時の図書寄贈に使用されました。

鹿児島大学へ「稲盛会館」を寄贈

1994年、母校鹿児島大学工学部が創立50周年を迎えたことを記念して、稲盛は大学の学術交流や地域の文化交流に広く利用してもらうため稲盛会館を寄贈しました。安藤忠雄氏の設計による稲盛会館は、卵形のホールになっており、「新しい創造の生命が宿る小宇宙をイメージし、鹿児島発、世界へと次の時代を担う若者が飛び立ってほしい」との思いが込められています。

京都大学芝蘭会館「稲盛ホール」を寄贈

京都大学医学部創立100周年を記念して、1999年に社会との連携や医学教育の発展を目的とした会館が建設されました。この会館は「芝蘭会館」と命名されましたが、その建設にあたり、稲盛は京都大学へ寄付を行い、同会館2階のホールが「稲盛ホール」と名付けられました。このホールは250名を収容し、学会、講演会、シンポジウムの開催などに広く利用されています。

円福寺本堂および庫裏の改築

稲盛が得度を受けた臨済宗妙心寺派円福寺は、臨済宗最初の専門道場として220年の歴史を持ちますが、長年の風雪により本堂の老朽化が目立ってきたため、稲盛と京セラは再建のための寄進を申し出ました。
本堂と庫裏(僧侶の居住場所)が建て替えられ、2003年には盛大な落慶法要が営まれました。書院には、著名な日本画家、伊藤紫虹氏に制作を依頼した襖絵が用いられています。