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経済変動を乗り越え、成長発展を持続する経営

稲盛は京セラを設立後、数多くの困難に遭遇しながらも、自身のフィロソフィをよりどころに経営をしてきました。その中でも、特に大きな試練として立ちはだかったのが、1973年のオイルショックでした。受注が10分の1に激減する景気変動の中、赤字を出すことなく危機を乗り越えることができた背景を、後年、稲盛は次のように振り返っています。
「京セラは50年に及ぶ歴史の中で、不況による大幅な売上の減少を経験しながらも、一度も赤字決算に陥ったことはありません。
そのことは、第1次オイルショックの嵐が1973年10月に全世界を襲ったときも同様でした。もちろんその影響は大きく、世界的な不況の波が京セラにも押し寄せ、1974年1月に月27億円ほどあった受注金額は、その年の7月には3億円弱にまで激減してしまったのです。たった半年で月次の受注が10分の1ほどに減ってしまうほどの急激な景気変動に遭遇したのですが、それでも京セラは年間を通じては赤字を出していないのです。それは、他社にできないファインセラミック製品を独創的な技術で量産するとともに、常日頃から『売上最大、経費最小』の経営に努め、当時で30%を超える高い利益率を誇っていたからでした。
このような高収益の企業体質をつくり上げたことは、雇用を守ることにも大いに貢献しました。オイルショックによる大不況のときには、日本の大手企業でさえ次々に操業停止に追い込まれ、従業員を解雇するか、自宅待機をさせていました。そうした状況の中でも、京セラは従業員の雇用を守り通した上で、利益を確保していたのです。また、高収益を通じて得た利益を内部留保として営々と蓄えてきていましたので、仮に赤字転落をしたとしても、しばらくは銀行から融資を受けたり、雇用に手をつけたりしなくても、もちこたえることができたのです。
このように企業内に内部留保を蓄積してきたのも、やはり私がもともと心配性で、『不況になったらどうしよう』と不安に思い、慎重な経営を心がけてきたからのことです。しかし、そんな小心者が常日頃から行ってきた経営によって、オイルショックによる大不況の渦中にあっても、私は会社の安全性に関して万全の自信をもっていました。不況ともなれば従業員が動揺しますが、私はそのとき、自信をもって彼らにこのように告げました。
『心配しなくてもいい。大会社が次々に倒産していくような大不況になろうとも、京セラは生き残っていくことができる。たとえ売上が2~3年ゼロになったとしても、君たち従業員の生活を守っていけるだけの備えがある。だから、一切の心配は要らない。安心して、さらに仕事に励もう』
そのように話をして、人心の動揺を抑えたわけですが、これには一切のうそや誇張はありません。事実、当時から、京セラにはそれだけの十分な資金的余裕があったのです」
2009年11月2日「第18回中外管理官産学懇談会講演」
稲盛和夫経営講演選集 第4巻「繁栄する企業の経営手法」に収録
写真:1974年の稲盛