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心。人生を意のままにする力

『心。』(サンマーク出版)から、稲盛の言葉をご紹介いたします。
<稲盛の言葉>
京セラを立ち上げてすぐ、私が経営判断の基準として据えたのが「人間として何が正しいか」ということでした。
「これからは『人間として何が正しいのか』、その一点に絞って会社を経営していこうと思う。あまりに幼稚で、プリミティブな基準だと思うかもしれない。しかし、物事の根本というのは単純にして明快なものだと思う。だから今後は、正しいことを正しいままに貫きたい」
当時、社員に対して、そんなふうに呼びかけたものです。
人間としての正しさとは、「正直であれ」「人をだますな」「思いやりを大切に」といった、子どものころに両親や先生から教わったきわめて単純な道徳あるいは倫理です。経営について知識も経験もまったくない、未熟なだけの当時の私には、それより他に拠って立つべき基盤がなかったのです。
判断基準の根幹を人間の心に置いておくならば、少なくとも会社を間違った方向へ導くことはないだろう。そんな確信もありました。社員を前にして、やはり私はこんなことをいいました。
「心にとどめておいてもらいたいのは、この判断基準が『会社にとって』正しいかどうかではなく、『私にとって』正しいかどうかでもなく、『人間として』正しいかどうかだ。だから、経営者である私が人間として正しくないことをいったり行ったりした場合には、遠慮なく直言し、是正もしてほしい。しかし、私のいうこと、することが人間として正しいと思ったら、ぜひついてきてもらいたい」
そんなシンプルな判断基準を私はいまにいたるまで守り、その実践に努めてきました。それは母がかつて、折にふれて私たち兄弟に教え諭してくれた、次のような言葉が心に残っていたからかもしれません。
「いつ何時でも、神さまや仏さまはちゃんと行いを見ているものです。だから、一人でいるとき、だれも見てなくても、神さまや仏さまが見ていると思って、きちんと行動しなさい。何か悪いことをしようとする気の迷いがあったら、『見てござる、見てござる』と心で唱えなさい」
その言葉のままに、私は経営においても人間として正しいことを貫き、天に恥じない経営をするという思想を愚直なまでに貫いてきた。これまで判断を大きく誤ることはなく、着実に歩みを続けてこられたのは、そのおかげかもしれません。(P146-148に掲載)