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心。人生を意のままにする力

201210

『心。』(サンマーク出版)から、稲盛の言葉をご紹介いたします。

<稲盛の言葉>
ある日の朝、食事の席につこうとすると、「うちの雨戸の裏で小鳥のヒナがかえりましたよ」と妻がいいます。聞けば、数日前から親鳥が鳴き声をあげながら戸袋に出たり入ったりしているという。
京都にある私の家の裏は森になっていて、カラスやらスズメやらさまざまな鳥がやってきます。そのなかでおそらくムクドリでしょうか、小さな鳥が雨戸に巣をつくり、子どもを育てているのです。

妻によると、カラスが巣に近づこうとすると、親鳥がどこからともなくやってきて、大きな鳴き声を出して威嚇する。また、妻が雨戸に近づいただけでも、鳴くのをやめて様子をうかがっているのだといいます。
本能とはいえ、生まれたばかりの子どもを守ろうとするその姿に、小さな生命に息づいているすばらしい世界を感じました。

妻とそんな話をするうちに、思い出したことがありました。
たしか私が小学校の高学年だったころだと思います。校舎の屋根裏に鳩が巣をつくり、まだ羽根も生えきっていない小さなヒナが二羽ほど鳴いていました。悪ガキだった私たちは屋根裏にしのび込み、ヒナをつかまえて珍しいものがとれたとクラスの友達にみせびらかしました。
その後、そのヒナたちがどうなったか記憶にありませんが、友達といじくりまわしておそらく死んでしまったのだろうと思います。いま思えば、ずいぶんひどいことをしたと思います。

子どもというのは純粋なきれいな心をもっていると思いがちですが、どうもそうではないのではないか。どうにも残忍で暴力的なところをもっているのではないだろうか――そんな話を妻にすると、妻もまた「そうよ」と頷(うなず)く。
幼稚園に通っている孫やその友達の子どもたちを見ていても、彼らはけっして純真で素直な心をもっているだけではない。いたずらや悪さをしては、それは自分がやったのではないと言い訳をしたりする。子どもはほんとうにワルですよ――と妻はいうのです。

人はどうもだれもが純粋で美しい魂で生まれてくるわけではないようです。生まれたばかりでも、魂はすでに曇ったり濁ったりしているものであるらしい。だからこそ私たちは人生を通して、魂を磨く努力を怠ってはならないのです。(P163-165に掲載)