Facebookアーカイブ
京セラ設立準備
松風工業を退社し、創業メンバーと誓詞血判状を交わした稲盛は、1959年1月6日から本格的に自らの夢を託した新会社の設立準備にとりかかりました。その時の様子について、社史では次のように記述されています。
会社設立を1959年(昭和34)年4月1日と決め、稲盛は、宮木電機製作所の一室に設立事務所を借り受けてその準備に入った。社屋および工場は、宮木電機製作所本社と道路を隔てて南側にある、古い一部2階建ての建物の一角を借りることで話がついた。
次に、社名を決めなければならない。宮木男也氏、西枝一江氏、交川有氏、青山政次、稲盛の5人で話し合った結果、「京都セラミック株式会社」に決定した。「セラミック」という言葉はまだあまりなじみがなく、一般に「特殊磁器」と呼ばれていたが、稲盛が、語感に迫力があり、現代的であるとして強く要望して採用されたのであった。また、頭に「京都」とつけたのは、将来海外と取引をする場合でも京都なら外国によく知られているという宮木の発案によるものであった。商標については、京都のKとセラミックのCを組み合わせて図案化して、登録をした。
必要な設備は、稲盛の計画にもとづいて調達をすることになり、伊藤謙介らまだ松風工業の社員だった設立メンバーが、休日や終業後の時間を利用してその準備を手伝った。ほとんどが手作業同然のため、深夜に及ぶこともしばしばで、屋台の夜鳴きうどんをすすりながら作業を続けた。
3月30日、宮木氏を発起人総代とする創立総会が開かれた。「特殊磁器の製造販売、研究並に之に附帯する一切の商行為をなすことを目的」(定款第2条)として、京都セラミック株式会社創立のための諸手続きを行い、いよいよ4月1日の創立式典を迎えるばかりとなった。
(『果てしない未来への挑戦 京セラグループ50年の歩み』より)
写真:1959年1月、京都セラミック株式会社の設立準備をする稲盛