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松風工業入社。落胆を乗り越え、仕事に打ち込む

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1955年4月、青雲の志をもって入洛した稲盛を待っていたのは落胆でした。大学を卒業し、就職した松風工業は銀行管理下にあり、初任給から遅配。将来に不安を感じ、一時は転職をめざすも、兄の反対に遭い、会社に残らざるを得なくなった稲盛は、心機一転、ファインセラミックスの研究に打ち込むことを決意します。

そして研究室に泊まり込み、寝食も忘れ、実験に取り組むとともに、国内外の文献を渉猟することになります(写真)。そうして研究開発に邁進した結果、フォルステライトという新材料の開発に日本で初めて成功したばかりか、その材料が、当時急速に普及が進み始めた、テレビの重要部品として採用されることになります。

こうして、エンジニアとしての努力が実を結んだ稲盛は、さらにその部品を生産する部門を任され、20歳代半ばでありながら数十人ほどの社員を使い、まさに経営者としての道を歩み始めるのです。