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稲盛ゆかりの地を巡る -1955年頃 松風工業時代 小畑川-

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今回から新コーナーとして「稲盛和夫ゆかりの地を巡る」が始まります。このFacebookでは、これまで稲盛和夫に関するエピソードを数多く取り上げてきましたが、そこで稲盛が見たであろう景色はどのようなものだったのでしょうか。第1回目は、稲盛の社会人生活の原点である1955年ごろの松風工業でのエピソードから、かつて寮があった場所の裏に流れる小畑川を紹介します。

「当時私は、床が抜けそうなオンボロな寮の二階の六畳間に住んでいました。畳の表が擦り切れていたので、藁がぼうぼうとむき出しになっていました。そこに七輪と鍋を持ちこみ、毎日自分で食事をつくっていました。会社での研究も、人間関係もうまくゆかず、日暮れ時になると、私はよく寮の裏の桜並木が続く小川へ一人で出かけて行きました。そして、小川のほとりに腰かけて、『ふるさと』という童謡を歌いました。私の心は積もり積もった傷で疼いており、その痛みを和らげるすべすら知らなかったので、思いきり歌うことで、自分を元気づけていたのです。次の日の仕事に再び打ち込む勇気が得られるまで、私は部屋には戻らず、歌い続けました。私たちは決して苦痛や悩みから解放されることはありません。しかし最悪の時でさえも、明るさを失わず、明日に希望を持つように努力することはできるのです」
(『新装版 成功への情熱』PHP研究所刊より「決して希望を失わない」の項)

<小畑川 ガイド>
JR京都線 長岡京駅(旧 神足駅)東口から、東へ350mほど歩くと川にたどりつく。
松風工業の跡地は、現在では駐車場や小学校となっている。

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写真
1枚目: 現在の京都府長岡京市を流れる小畑川。稲盛はここで「ふるさと」を歌い自らを奮い立たせた
2枚目:松風工業時代の稲盛