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稲盛ゆかりの地を巡る -1959年京セラ創業 西ノ京原町-

先月より新コーナーとして「稲盛和夫ゆかりの地を巡る」が始まりました。第2回目は京セラ創業の地、京都市中京区西ノ京原町を紹介します。
1959年に従業員28名、配電盤メーカー宮木電機製作所の社屋を間借りする形で始まった京セラの創業。近所の自動車修理工具の工場が日夜稼働し、活況を呈しているのを見るにつけ、稲盛は「この隣り組を追い越すだけでも容易ではない」と感じていました。それでも「まずはこの原町で一番になることから始めよう」と心に決め、最終的には京セラを「世界一の会社にしよう」と宣言し、自らの強烈な願望を社員たちに訴え、共有してきました。
やがて、それは京セラの成長発展を実現させる原動力になっていったのでした。そんな当時の心境を稲盛は次のように回顧しています。
「1959年4月1日、京都セラミツクの創立記念式典が中京区西ノ京原町の本社で開かれた。宮木社長が電気炉に火を入れて待望のスタートだ。その晩、幹部を集めて門出を祝うささやかな宴会を開いた。私はそこでこんなあいさつをした。『今は宮木電機さんの倉庫を借りて創業したが、今にこの原町一になってみせようやないか。原町一になったら、西ノ京一の会社を目指そう。西ノ京一になったら、中京区一を目標にしよう。次は京都一、京都一が実現したら日本一になろう。日本一になったら、もちろん世界一だ』。熱に浮かされたように私は気宇壮大な夢をぶち上げた。やる以上は、目標が大きければ大きいほどいい。(中略)
高い目標を掲げながら、実際はその日一日を生きるのが精いっぱいだった。注文の品物を作るのに必死で、明日のことまで考える余裕がなかった。正直に告白すれば、会社が大きくなるための青写真や戦略があったわけではない。
それでも『今に世界一』といい続けたのだ。酒でも飲めば必ず、『なあ、今にきっと日本一、世界一になるぞ』とお題目のように唱える。景気づけみたいにいっているが、いつかその存在を天下に知らしめてみせるという強烈な願望だ。初めはみんな『またいうとる』と聞き流していたのが、何回、何十回と聞かされたら、次第にその気になってくる。『今の工場は貧弱でも、志はどこまでも高くあれ』とみんなの心に訴えたのである」
(『ガキの自叙伝』日経BPより)