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京都市と京都仏教会との和解をとりもった稲盛
1999年4月、当時、京都商工会議所の会頭を務めていた稲盛は、長年対立関係にあった京都市と京都仏教会との和解を仲介したいと記者会見で表明しました。
ワコールの創業者である塚本幸一さんから京都商工会議所の会頭を引き継いだ稲盛は、「21世紀に持ち越せない問題を、自分が会頭である間になんとかしたい」という強い思いを抱いていました。その一つが京都市と京都仏教会の対立問題でした。
対立は1982年、京都市が寺院の拝観料に課税する古都税構想を表明したことに対し、仏教会が1985年から3回にわたり最長10ヵ月間、拝観停止で対抗したことに端を発しています。その結果古都税は廃止となったものの、今度は市街地での建築物の高さ規制緩和に仏教会が強く反発。対立は長期化し、観光産業には大きな痛手となっていました。
「重工業産業がなく、観光産業の復興は京都活性化の重要項目。双方の和解は欠かせない」と考えた稲盛は、1997年の得度を機に仏教会の方々とお付き合いがあり、また当時の桝本頼兼京都市長とも商工会議所の会頭として交流があったことから、仲介役をかって出たのです。
「低迷する京都の観光をなんとかしよう」という稲盛の呼びかけにより、1999年5月20日、両者は「一体となって京都の観光復興や景観に配慮したまちづくりに努力する」との共同声明に署名しました。稲盛は「京都の発展に協力を惜しまない両者の姿勢は喜ばしい」と述べ、記念すべきこの日に、稲盛、有馬頼底仏教会理事長、桝本市長の3人が固い握手を交わし、17年続いた対立についに終止符が打たれたのです。
写真:(左から)固く握手する有馬頼底理事長、稲盛、桝本頼兼京都市長