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パキスタンと稲盛

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今から39年前の1983年6月4日、稲盛はパキスタンの首都イスラマバードから北西に車で4時間半ほどのスワットにある山間の寒村、カンコイ村にいました。この日、同村で行われた、京セラが寄贈した村落電化用の太陽電池システムの送電開始セレモニーに出席していたのです。

セレモニーにはパキスタン政府より石油天然資源省のアリ大臣や州知事の他、日本大使館公使ら多くの要人も出席されました。
同村は辺境地域にあるため電気が通じておらず、約1,000人の村人はわずかばかりの灯油ランプに頼ったつましい生活を送っていました。そこに京セラの太陽電池システムにより、村内の街灯や各戸に室内照明が付き、井戸水を汲み上げる揚水システムも稼働するようになり、村人の生活は大幅に改善され、たいへん喜ばれたのです。(*当時の京セラ社内報の記述により作成しています)

稲盛がわざわざパキスタンを訪れたのは、ひょっとしたら京セラを創立する前の古い思い出があったからかもしれません。
当時、稲盛が考案したセラミック用の電気トンネル炉に注目したパキスタンEMCO社のレーマン氏が、その技術を持ってパキスタンに来てほしいと稲盛を招聘しました。

一旦はパキスタン行きを決意しかけた稲盛ですが、技術者としての将来性を惜しんだ恩師である内野正夫先生の「絶対にパキスタンには行ってはなりません。せっかくここまで高めてきた技術を、パキスタンで切り売りすれば、数年後に日本に帰ってきたときには、エンジニアとしてのあなたは使い物にならなくなっているでしょう。あなたがパキスタンにいるあいだに、日本の技術は日進月歩で進んでいくはずです。ぜひ日本でがんばり続けなさい」という強い慰留により、日本に残ることを決めました。稲盛とパキスタンにはそんな因縁があったのです。一度は自分が行こうとしたパキスタンという国がどういう国なのか、それを見ておきたいという気持ちもどこかにあったのかもしれません。

セレモニーに出席した稲盛は帰路、ラホールに立ち寄ってEMCO社を訪ね、そのレーマン社長と四半世紀ぶりの旧交を温めたのでした。

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20220602-3.jpg写真 
1枚目:パキスタンの民族衣装「シャルワール・カミーズ」を着てアリ大臣(右)と握手する稲盛
2枚目:カンコイ村に設置された太陽光パネル
3枚目:セレモニー出席者を前に祝辞を述べる稲盛(左端演壇上)