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稲盛和夫の生涯⑲ 躍進の画期となったIBMのサブストレート(基板)

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1966年4月、京セラにとって歴史的な出来事となるサブストレート(基板)の受注が決定しました。

その注文は、IBMグループの一社であるフランスIBMからのもので、メインフレームコンピュータの戦略製品であった「システム/360」の心臓部、ハイブリッドICに用いられるものでした。当時欧州の有力セラミックメーカーであったドイツのローゼンタール社やデグサ社との競合に勝って獲得したもので、受注数は2,500万個、金額にして14,000万円。当時の京セラ年間売上の4分の1に相当するものでした。

しかし、製作は難航を極めました。
寸法は11.5ミリ角、厚さ1.5ミリ、そこに12のピンホール(穴)を持つ基板で、アルミナの含有率や比重、吸水率、浸透性から抗折強度、並行度、平面度、メタライズ強度などの仕様が分厚い冊子に詳細に指定されていました。当時の京セラには、それらの測定装置すらなく、測定技術・機器の開発からのスタートでした。

開発にあたっては、社長に就任したばかりの稲盛が陣頭指揮に立って全工程を監督し、全員が「なんとしても」という使命感に燃え、連日、帰る交通機関がなくなる夜遅くまで必死に取り組みました。


艱難辛苦の末にIBMから試作品の合格をもらったのは、受注から7カ月後。そして次は量産の壁です。毎月100万個生産を目標に、IBMの頭文字を取った「I社組」80名のチームが24時間3交代で取り組み、ときには役員、幹部を問わず生産の応援に出ていました。

当時、焼成に使用していた炉の温度が均一にならず、焼き上がり寸法をいかに一定にするかに担当者は連日悪戦苦闘していました。ある日の夜遅く、その日もうまく製品が焼けずに肩を震わせて泣いている担当者に、通りがかった稲盛がかけた言葉が「どうかうまく焼けますようにと神様に祈ったのか(あとは神に祈るしかないというところまでの努力をしたのか)」というものでした。のちに稲盛がよく口にした「神に祈ったのか」という言葉は、このときに生まれたのです。その言葉に担当者は奮起し、さらに努力を重ねてこの問題を克服し、量産を実現したといわれています。

全員の思いと努力の結集で、IBMのサブストレートは完納することができました。これにより京セラの技術、生産能力、品質管理力は長足の進歩を遂げ、同時にIBMに採用されたことによって信用度も高まり、それまであまりかかわりのなかった半導体・電機メーカーからも注文が寄せられるようになったのです。

写真
1枚目:IBM社大型汎用コンピュータ「システム/360
2枚目:「システム/360」用サブストレート

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