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寄稿㉗「経営者の引き際 夢は仏教三昧」(『文藝春秋』 1996年12月号)

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1996年10月1日、京都商工会議所会頭としての定例記者会見後の質疑応答において、稲盛は65歳になるのを機に京セラや第二電電の経営の第一線から退き、今後は自身の哲学の完成と社会貢献活動に注力していきたい意向を示しました。翌日以降、各界から驚きをもって受け止められたことから、稲盛はその真意について、同年の『文藝春秋』12月号に寄稿し、次のように語りました。

「私は非常に怖がりなのである。自慢話になるようで甚だ恐縮だが、私は自分では仕事ができる人間だと思っている。たとえば『京セラ』にしろ『第二電電』にしろ、会議がもたれ、いろいろな情報が持ち寄られ、皆が盛んに議論するのを小一時間も黙って聞いていると、皆の意見が間違った方向に収斂していくのがわかることがある。そちらの方向でありませんよ、こちらの方向こそが正しい道ですよということが見えてくることがある。同じ情報、同じ条件を検討してもそれぐらい違ってきてしまうことがままあるのだ。

それが褒められこそすれ、決して恥ずべきことではないことも承知しているが、そうしたことが続くと、ややもすると仕事に対する自信がいつか過信に陥ってしまう恐れもあるのだ。他人には任せておけない、危なっかしくて見ていられない。それが高じて、結局は何でも自分自身でやらなければ気が済まなくなってしまう。

しかし、それは実は際限のない作業にすぎない。もしも自分の命が無限であるならば別だが、そうではないのだからいつかはどこかでその思いを断ち切らなければならない。元気だからまだいいだろうと思っていても、残念ながら歳を取ると人間は変わってしまう。(中略)若い頃には非常にフェアな考えであったはずのものが、歳を取るにしたがい、醜悪なものに変わってしまい、結局引き際を誤ってしまう。そのことを私は恐れている。

健全な精神は健全な肉体に宿る。健全な精神をもっているときにこそ、正常な判断ができるはずだ。だからこそ、『まだお若いじゃないですか、まだお元気じゃありませんか』と言われているうちに引き際を的確に判断しなければならないのである。(中略)

もちろん、私は解脱の域まで到達する必要はないと思っている。人間の生きる道とでもいうのか、この1回しかない人生の中でどういう生き方をしていけばいいのか、せめてこの世に生を受けて良かったなと思えるような人生を送ってみたい、ただそれだけが望みである。

私は勝手に自分の寿命は80年だと思っている。これまで大学を卒業して41年間、『京セラ』という会社を作って37年間、自分で言うのもおこがましいが、本当に必死で働いてきた。だから私に残された最後の15年ぐらいは少しゆっくりさせてもらって、自分の好きな勉強をしたい。ただそれだけのことである」