KYOCERA HISTORY
KYOCERA
HISTORY
1959
1959年、京セラは京都市中京区にてファインセラミックスの専門メーカー「京都セラミック株式会社」として創業しました。資本金300万円、従業員28名という、いわば小さな町工場でした。日本では高度成長期が始まり、各産業で次々に技術革新が進んだ時代です。
そうした時代に京セラは、最先端のファインセラミック技術を活かして、ブラウン管テレビに欠かせない絶縁部品「U字ケルシマ」の製造に注力しました。この部品は従来、輸入品に頼っていたのに対して、お客様からの国産化の要望を受けて果敢に挑戦。創業間もない京セラは、わずかな人数で設備も十分でなかったものの、苦難の末に製造技術を確立し、月産20万本の生産を実現したのです。名だたる一流メーカーが割拠するセラミック業界において、ファインセラミックスの専門メーカーとしての存在感を示すこととなりました。
しかし、U字ケルシマだけに頼っていたのでは、会社の成長に限界があることから、自社の技術と仲間を信じて、他社にできないこと、他社がやらないことに全力で挑戦を続けました。この熱意が、創業期における成長の原動力だったのです。京セラの挑戦するDNAは、今日に至るまで変わることなく引き継がれています。
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1962
京セラは創業当初から京都一、日本一、そして世界一の企業を目指すという壮大な目標を掲げていました。その夢を実現するため、世界進出の第一歩として、創業4年目の1962年、創業者である稲盛和夫を筆頭に、数名が米国へ初の海外出張を敢行しました。
しかし、米国での初の営業活動は芳しいものではありませんでした。技術力は高く評価されたものの、言葉も満足に話せない中、米国では無名に近い京セラに、仕事を発注するお客様はそう簡単には見つかりませんでした。
それでも粘り強く海外市場の開拓に挑み、1964年に欧州及び米国へ再度渡り、精力的に営業活動を続けたのです。そうした結果、徐々に海外からの注文を獲得していきました。
転機となったのは1966年。米国IBM社からコンピュータに使われるIC用アルミナ・サブストレート基板の大量受注に成功したことです。この時の要求は当時の京セラの技術水準をはるかに超えるものでしたが、ICの将来性を確信し、半導体用セラミックパッケージ事業への投資を決断。その後、ICの生産量は急速に伸び、京セラはセラミックパッケージ市場で世界のトップ企業へと成長していくのです。
ひとつの成功を成し遂げるたびにさらに高い目標に挑戦していく企業風土が、京セラに醸成されていきました。
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1984
1985年に電気通信事業法が制定され、それまで国営企業だけに認められていた通信事業に民間企業が参入できるようになりました。通信事業の自由化という波が到来するのを機に、前年の1984年、京セラは24社と共同で第二電電企画株式会社(後の第二電電株式会社、現在のKDDI株式会社)を設立。通信事業に新規参入しました。
しかし当時、京セラに通信の専門技術者は一人もいないばかりか、巨大な元国営企業の壁に社員がたじろぎ、常識で考えれば成功が難しいため、周囲からも「できるはずがない」と言われていました。それでもあえて通信事業に挑戦したのは、高額だった日本の長距離通信料金を引き下げる社会的使命を担うべく、「国民のためにぜひともやるべきである」という強い信念があったからです。
現在、国内の大手通信事業者へと成長発展したKDDIの礎となっているのは、京セラが貫き通した「世のため人のために尽くす」という信念です。
京セラの創業時から根付く粘り強い、あきらめない挑戦の精神は、また一つ世の中に変革を起こしたのです。
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2011
京セラはエレクトロニクス分野に限らず、ファインセラミック技術の可能性を早くから追求してきました。その一つが医療分野への応用です。1970年代からファインセラミックスと生体との親和性の高さに着目し、人工関節の研究開発に長年にわたって取り組んできました。医療という未知の分野を開拓するのは容易ではなく、大学や他企業と協力しながら、革新的な技術創出に挑み続けてきたのです。そして2011年、人工股関節の耐久性を高め、患者さんの失われた生体機能を取り戻すためのバイオミメティック(生体模倣)技術を活用し、京セラは、日本発の長寿命型人工股関節技術「Aquala®(アクアラ)」の実用化に成功しました。
Aquala®は、人工股関節の最大の課題であった耐用年数を大きく延ばすことが期待できる画期的な技術です。市場投入以来、今日まで85,000例を超える症例に用いられており※、患者さんのQOL(生活の質)向上に大きく貢献しています。新技術への京セラのあくなき挑戦は事業の枠を定めることなく、医療の世界へも新風を吹き込みました。
※2022年12月京セラ調べ
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2019
地球規模の気候変動問題の解決に向けて、脱炭素社会の実現を目指す取り組みが世界中で進んでいます。その一つが自然エネルギーを利用する太陽光発電システム。天候に左右されやすい太陽光発電を効率よく活用するために不可欠な蓄電システムは災害時のエネルギー有効利用策としても大いに役立つと考えられています。京セラは2019年に世界初※1となるクレイ型リチウムイオン蓄電池を開発しました。
この電池は正負の電極が粘土状(クレイ)であることから、製造プロセスを大幅に簡素化できるとともに、耐久性や安全性、コストメリットなどの面で優位性を発揮します。実は、京セラが太陽光発電事業をスタートさせたのは1975年。以来、40年以上にわたりエネルギーに関連する事業を展開し、その有効活用に取り組んできたのです。
新たに開発したクレイ型リチウムイオン蓄電システムは、2021年には年間優秀製品※2に認められるなど、社会的貢献度に優れた製品として非常に高い評価を獲得しています。2022年には量産化を開始し、今後の普及を通じて環境問題解決に広く貢献していくことが見込まれています。
※1 2022年京セラ調べ
※2 日本経済新聞社主催「日経優秀製品・サービス賞2020」において「日経産業新聞賞」を受賞
FUTURE
さらなる技術革新で未来へ
そして今、京セラは現状に甘んじることなく、
社会課題の解決に向けて果敢に挑戦を続けています。
創業以来、連綿と受け継がれてきた「京セラDNA」をさらに進化させ、
高度な技術革新でより豊かな社会を創り出すために。
できるわけない。は、超えられる。
私たちは新技術への挑戦を通じて新しい価値を追求し、
一歩先の未来を創造し続けていきます。