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稲盛が愛した歌「ふるさと」

本日は、稲盛が愛した歌「ふるさと」についてのエピソードをご紹介します。
私が最も愛している歌は、「ふるさと」です。私は九州の出身で貧しい家庭に育ち京都に出てきましたが、いつも自分をはぐくみ育ててくれた山川、故郷を思い浮かべてその恩に感謝しつつ、仕事で苦しいとき、淋しいとき、一人野原に出て、故郷で幼い頃習ったこの歌をうたって自分を癒し、ともすれば崩れようとする気持ちを励ましてがんばってきました。
(『機関誌盛和塾100号』より)
稲盛は当時勤めていた松風工業で、25歳という若さで部門長(リーダー)をしていました。労働争議が絶えなかった当時、お客様のために仕事を続けることが重要だと考えた稲盛は、労働組合のストライキに参加しませんでした。そのため、労働組合から弾劾裁判を受けるなど苦しい日々を送ることとなりました。そんなとき、会社の寮の裏の河原で一人泣き、「ふるさと」を口ずさみ、自分自身を励ましていたのです。
正しいことを貫き続ける稲盛の哀愁漂うエピソードです。
※写真は当時の河原の現在の様子です。