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稲盛和夫と雪

まだまだ寒い日が続いておりますが、本日は、雪にまつわるエピソードを紹介させていただきます。
京セラを創業して間もない頃、稲盛は、自ら営業の先頭に立ち、部品サンプルを持って、新規顧客の開拓に奔走していました。
「営業活動は大都市だけでなく、地方にあるメーカーも訪れた。忘れもしない。冬の真っ盛りだった。当時、専務だった青山政次さんと富山県の雪深い立山のふもとにある抵抗器メーカーに出かけた。私は南国、鹿児島の生まれで寒さには弱い。靴の中に雪が入ってしまい、耐えられないほど足が冷え切っている。ようやくその会社にたどり着いたら、『うちはけっこう』と玄関払いだ。『どなたか技術の方に会わせて下さい』と頼んでも取り合ってくれない。仕方なく、寒さと空腹で二人とも無言のまま、とぼとぼと富山駅まで戻ってきた。
駅の待合室にダルマストーブがあったので、やれやれと手をかざして暖をとった。燃料の石炭が横に積んであり、ストーブは真っ赤に焼けている。ホッとしているとなにやら焦げ臭い。足元を見ると、なんと私の一張羅のオーバーが裾の方から燃えている。あまりの寒さにストーブにくっつかんばかりに立っていたのだ」
(『ガキの自叙伝』より)
南国育ちの稲盛にとって、ことのほか厳しい営業活動でしたが、その後、この富山のメーカーは、京セラの新たな取引先になりました。中小零細企業で実績もなかった京セラは、このような地道な営業活動を通じ、新たな受注を獲得していったのです。