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稲盛和夫 魂の言葉108

『稲盛和夫 魂の言葉108』(宝島社/稲盛和夫=述、稲盛ライブラリー=構成)から、稲盛の言葉とその言葉に関連するエピソード・情報をご紹介いたします。
<稲盛の言葉>
「もし、信念もなく、部下にただ迎合している上司ならば、決して若い人たちのためになりません。それは若い人たちにとって楽ですが、その気楽さは彼らをだめにしていくはずです」
「仕事という修羅場の中で、新しいことを成し遂げられる人は、可能性を信じることができる人です」
(P174に掲載)
<宝島社の解説文>
仏教には、大善と小善という言葉があります。
自分の子どもが可愛くない親はいないと思いますが、可愛いからといってわが子を甘やかしてばかりいると、その子は成長したときにその甘さが出て、人生を誤ってしまうことがあります。逆に可愛い子には旅をさせろと言われるように、子どもを厳しく教育し、しつけることこそが真の愛情であり、それによってその子は成長したとき、素晴らしい人生を歩むことができるのではないでしょうか。
前者を小善、後者を大善と言います。これは「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」とも表現されます。
もし仮に2人の上司がいるとします。一方では部下の意見をよく聞き、若い人たちがやりやすいように配慮してくれる優しい上司。もう一方は、部下を強く叱責するような厳しい上司。部下の立場では、きっと自分にとって耳障りなことばかり言う厳しい上司は毛嫌いされ、前者の優しい物わかりのよい上司を好むという人が多いでしょう。しかし、長い目で見れば、後者の厳しい上司のほうが、常に部下は限界まで追い込まれるわけですから、自分の本当の力を引き出す訓練ができるわけです。これによって部下は鍛えられ、はるかに伸びていくでしょう。
実際に、人を叱りつけるということはたいへん難しく、エネルギーのいる行為です。ただ怒りに任せるのではありません。信念を持って、部下に少しでも成長してもらいたいと思って、強く厳しい言葉を振り絞るようにして出すのです。これこそが大善であり、真の愛情なのではないでしょうか。
パワーハラスメントということが近年、社会問題にもなっていますが、それはこのような信念、部下に対して大善を成そうとする心に欠けた、ただ自分の怒りをぶつけて、叱り飛ばすだけのことです。
人を育てるという信念を持って何が部下に必要なのかを見極めるリーダーであってほしいと思います。
(『稲盛和夫 魂の言葉108』より)