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京セラが新たな責任を背負った初上場の日

1971年10月1日、京セラは大阪証券取引所第二部、および京都証券取引所に株式を上場しました。
上場には、創業者が保有する株式を市場に売り出し、キャピタルゲインを得る方法もありましたが、稲盛は一株も自らの株式を売り出すことなく、すべての資金が会社に入る「新株発行」を選びました。それは、会社の資本金を増やし、激しい経済変動に見舞われても耐えていける盤石の財務体質を築きあげることでこそ、従業員の将来にわたる生活を守っていくことができると考えたからです。
創業以来、そのように常に社員の幸せを希求してきた稲盛でしたが、上場を機にさらにもうひとつ、会社を応援してくださる方々の幸せも背負わなければならないことに気が付きます。そのことを上場記念祝賀パーティーで社員に語った話をご紹介します。
私はこのたびの上場につきまして、次のように考えたわけです。
今回、いろいろな関係の方々から京都セラミツクが非常に発展してきておりますので、「ぜひ、日本の代表会社のグループである大阪二部市場ならびに京都市場に上場したら」というお話を承ったわけでございます。そして、京都セラミツクがもし株式を上場するならば、すばらしい好評を博すであろう。また我々のチームワーク、技術開発力、海外における展開、そういうものはどの企業と比べても少しも遜色がないし、立派に曰本を代表する企業である、ということを関係機関からもいろいろと聞かされました。
非常にうれしいと思ったのですが、うれしいと同時に何か胸が重たい感じがしました。我々は今日まで、皆さんと皆さんの家族を含む幸せを、ということをもって経営をしてきたわけです。ところが今回、上場となってまいりますと、我々社員だけではなくて我々を支援してくださる一般の投資家、株を購入してくださる方々を迎えるわけです。
(中略)
今後、私はトップとしまして、走って走って走りまくらなければならないかもしれないと思うと、誠に感無量のものがありますし、我々は我々の社員の幸せをと思ってきましたが、それだけにとどまらず、今後は我々を取り巻くあらゆる人々の幸せまで考えて達成していかなければならない。喜んでいいのか悲しんでいいのかわかりませんが、少なくともこの人生で何か人のため世のためになしうることがあればと思ってやってきたことが、現在では非常な責任を負ったような状況であります。
私には、皆さんというすばらしい社員がついてきてくれています。私は皆さんと共にひたむきにがんばっていく決意でありますだけに、一致団結した考え方、その努力をもってすれば、私はすばらしい展開ができると信じております。(『果てしない未来への挑戦 京セラグループ50年の歩み』)
写真:新規上場銘柄に掲示された「京都セラミツク」の株価