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心。人生を意のままにする力

『心。』(サンマーク出版)から、稲盛の言葉をご紹介いたします。
<稲盛の言葉>
振り返れば、私はどんな局面であっても、自分にとって損か得かといった基準ではなく、正しいかどうかで行動する――つまり「正道を貫く」ことで困難を突破してきたように思います。
どんなむずかしい局面に立たされても、自分に妥協や迎合を許さず、正しい道を正しいままに踏み進んでいく。いいかえれば、いつでも正面突破で解決を図ることしかできなかったのです。(中略)
社会人生活をファインセラミックスの技術屋としてスタートさせた私は、やがて独自の新材料の開発に成功し、その材料を使った製品を生産する新設部門の主任に抜擢されました。まだ二十代なかばの若いリーダーで、部下には自分より年配の従業員も少なからずいました。
当時勤めていたのは、長く銀行の管理下に置かれている赤字会社でしたから、従業員の待遇も悪く、年中、労働争議が絶えませんでした。当然、従業員のモラルや士気も低く、残業代稼ぎのために不必要な残業にせっせと努めるという社員もたくさんいたのです。
そのように会社を食い物にしているようでは、業績を上げるどころか、ますます悪いサイクルに入っていってしまう。したがって、私は若いながらも、怠けている者がいれば強く叱ることも辞さなかったのです。
その肩肘張ったような姿勢を、ある先輩から「正論だが、厳しすぎる」と忠告されたことがありました。「ちょっと手を抜いただけでもこっぴどく叱られるので、彼らはキミを煙たがり、嫌ってもいる。もっとみんなの気持ちを汲みながら仕事をするべきではないか」――彼のいうことももっともで、ずいぶん思い悩んだこともありました。
ですが、いくら考え抜いても、私の正義感が揺らぐことはありませんでした。「自分のいうことは部下の反感を買うかもしれないが、けっして間違ってはいない。やはり正しいことは正しいと主張するべきだ」――そう思いを強くして、どんな逆風に絶えずさらされても、私は自分が正しいと思ったことを口にし、行動するという姿勢を変えませんでした。
それはあたかも、切り立った絶壁をたった一人で垂直登攀していくようなものだと感じたことがありました。
立ちはだかる壁がいかに大きく強固なものであろうとも、迂回はせずに自らが信じた道を渾身の力でまっすぐ登っていく。ロッククライミングよろしく、一歩一歩急峻な岩肌を登ってひたすら頂上をめざす。
仲間はそんな私の姿になかば反発し、なかばあきれながら、一人脱落し、一人は途中で下山し、気がついたら一人岩肌にしがみついていた――そんな思いがしたものです。
おそろしく孤独で、恐怖にかられることもしばしばありました。しかし私はそれでも、正面突破で解決を図ることしかできなかったように思います。(P136-139に掲載)