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当座買いの教えとなったさつまいもの思い出

10月13日は「さつまいもの日」です。
その昔、中国から日本に入ってきたさつまいもは、薩摩藩が栽培を始めたことから、「薩摩芋」と呼ばれるようになりました。稲盛も幼少の頃からさつまいもをおやつとして親しんできました。母がふかしてくれたさつまいも・・・そこにのちの京セラで実践する「当座買い」のもとになったエピソードがありますので、ご紹介いたします。
稲盛の実家は印刷と紙袋の製造を業としていました。父親は実直でまじめな仕事一途の人間、母親は明るく快活な女性でした。父親は鹿児島市内から離れた田舎の出身で、農家を営む親戚がよく野菜を大八車やてんびん棒に載せて近所まで売りに来ていました。夕方になると、売れ残ったものを持って帰るのは重いので、よく稲盛の家に立ち寄っては「安くしておきますよ」と言っていました。母親も気の毒に思い、また主人の親戚でもあり、なによりも安いのだからと野菜を買っていました。
それを見た小学生の稲盛は子供心に「善いことをする」と思っていました。しかし、夕飯時に父親が台所に積まれた野菜を見て「また無駄なものを買いよって」と怒るのです。それに対し母親は、「あなたの遠い親戚がわざわざ来られたんですよ。市内の八百屋さんなんかとは比べものにならないほど安くしてもらったんです。あなたに怒られる筋合いなんかどこにもありません」と言い返す。稲盛はだまってそれを見ながら「母が言うのは正しいな」と思っていました。
ところがある夏の日、母親が庭先を掘っています。ずいぶん前に埋めていたさつまいもを掘り出しているのですが、かなりいたんでいます。「あれあれ、もうこんなにいたんでしまって」と言いながら、悪くなったところを包丁で削り落とすと、さつまいもはみるみるうちに小さくなりました。
母親は小さくなった芋を大きな釜でどっさりゆがいて、「お友だちを呼んでいらっしゃい」と言い、稲盛は近所の友だちをみんな呼んできておなかいっぱい食べたのです。そのときになって初めて稲盛は、「ははーん、親父が怒ったわけがわかった。こういう嫁さんなら所帯がつぶれてしまうかもしれない」と思ったのです。
子供のときのこのような経験から、まとめて買えば安く上がったように思うけれども、人間はたくさんあると余分に使ったり、乱暴に使ってしまい、反対に今使う分しかなければ、大事に使うようになると気づきました。だから京セラでは、原材料などの購買について、毎月必要なものは毎月必要な分だけ購入するようにしていました。場合によっては、毎月ではなくて、毎日必要な分だけを買うようにしていることもあり、このことを「当座買い」と呼び、資材購入の原則としてきたのです。
写真:幼少期の稲盛(左)と母