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いい夫婦の日

201119

11月22日は、「いい夫婦の日」です。
1958年12月14日、松風工業を退社した翌日に、稲盛は同じ特磁課にいた須永朝子と結婚しました。
会社に鍋釜を持ち込んで研究をしていた頃、稲盛の机の上に弁当が置かれていることがありました。「これは誰の弁当や?所有者がいないのならおれが食うぞ」と言って食べると、次の日もその次の日も置かれている。それは、朝子が稲盛の食生活を見かねて持ってきていたものでした。
それをきっかけとして朝子の飾らない人柄や親切心に引かれ、稲盛は結婚を申し込んだのです。

お金がないため結納は交わさず、お互いがささやかなプレゼントを贈り合いました。京都・東山の蹴上で挙げた式も大変質素なもので、ケーキとコーヒーでの披露宴でした。
設立する会社がどうなるかが分からない中での結婚。その時に稲盛は朝子に「お前だけはおれの尻を押し続けてくれよ」と言ったそうです。

ささやかに始まった結婚生活。約60年後、稲盛は自著の中で妻について、万感の思いを込めて次のように語っています。

「こんなことを書くのは初めてだが、70代後半ぐらいから私の妻はすばらしい妻だと思うようになった。それはもう、思わず手を合わせて拝みたくなるぐらいにすばらしい。
もちろん若い頃はお互い理屈っぽいことを言い合ったりしたが、今は実に優しい妻だと思う。これはのろけではなく本当にそう思うし、心から尊敬している。 現在、私は家にいることが増え、妻とはしょっちゅう顔を合わせている。
私たち夫婦は特にこれという会話はしない。
それでも、家ではぐうたら過ごしている私の身のまわりによく気を遣い、着るものから食べるものまで何から何まで面倒を見てくれる。しかも一度も愚痴や文句を言ったことはない。仕事の忙しさにかまけて家のことを構わずにいた私の代わりに、3人の娘を立派に育てあげた。偉そうなことを言っている私には、実は子育てをした記憶がない。すべて妻がしてくれた。
子育てで忙しい時期も、仕事で帰りが遅くなることが多かった私を、必ず寝ずに待っていてくれた。
何の愚痴も言わず、何も聞かなかった。
妻がいなくなったら、私は生きていけなくなるのではないかと思っているくらい、頼りにしきっている」

(『ごてやん』小学館)