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卒論が導いたご縁 -恩師 内野正夫先生-

201203-1

ライブラリー1階「総合展示」のフロアには、鹿児島大学工学部時代の稲盛の卒業論文「入来粘土の基礎的研究」が展示されています。実はこの論文、稲盛に多大な影響を与えた恩師との出会いを導いてくれたのです。

大学では有機化学を専攻していた稲盛でしたが、就職難から京都の碍子メーカーに就職することになり、急きょ無機化学分野での卒論作成に取り組みました。その論文は鹿児島大学に赴任したばかりの教授の目に留まり、「東大生の論文にも引けを取らないくらい素晴らしい」と評価されました。その人物こそが稲盛自らが生涯の心の師と呼ぶ内野正夫先生でした。

内野先生は、東京帝国大学応用化学出身で、日本における第一級の先端技術者でもありました。そんな先生が、稲盛の才能を高く評価し「あなたはきっと素晴らしいエンジニアになりますよ」という言葉を贈ってくれたのです。

卒業後も先生との交流は続き、稲盛が就職で京都に来てからも、また、京セラを創業してからも、たとえわずかな時間でも先生との面会を重ね、数々の励ましや助言を受けたのでした。当時の稲盛の手帳には東京大学や東京工業大学、さらには九州大学などの大学関連機関への紹介をお願いしたり、新製品、新規事業の技術的アドバイスを受けたりしたことが克明に記録されています。

先生は、優秀な技術者であるとともに、満州軽金属製造株式会社で新たなアルミニウム製法に挑戦する事業家としての一面を持っていました。また、戦後には、曹洞宗九州本山であった大慈寺の総代に就任し、故郷熊本の精神的復興に取り組んだという側面もあったことが分かっています。そのような尊敬する恩師から受けた教えが、稲盛の人生に色濃く影響を与え、技術者・経営者・思想家としての稲盛を作り上げていったことは想像に難くありません。

稲盛は内野先生に対し、次のように感謝の気持ちを述べています。

「今思い返してみても、内野先生との出会いがなければ、また内野先生からいただくさまざまなアドバイスに素直に耳を傾けることがなければ、私の人生は、また京セラの経営はまったく異なるものになっていたように思います。本当にいくら感謝しても感謝しきれない、私の大恩人でいらっしゃいます」 (2009年11月4日 「盛和塾中部・北陸地区塾長例会」講話より)

写真
1枚目:卒業論文「入来粘土の基礎的研究」
2枚目:内野正夫先生

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