Facebookアーカイブ

心。人生を意のままにする力

210318.jpg

『心。』(サンマーク出版)から、稲盛の言葉をご紹介いたします。

京セラを立ち上げ、経営の道を歩みはじめた若いころの私は、お世辞にも経営のトップにふさわしい人格を備えているとはいえず、そのことについては当時ずいぶんと悩んだものです。
経営をしていくためには、「私はこの会社をこういうふうに経営していきたい」「将来はこんな会社にしたいのだ」と自らの考えやビジョンを社員、従業員につねに伝え、理解してもらう努力を払わなければいけません。

しかし、どんな立派なことをいっても、それを説く人間が立派でなければ、その内容は聞く人の心には入っていきません。何をいうかよりも、だれがいうかのほうが大切で、立派だと思われていない者が立派なことを説いたところでまったく説得力はありません。(中略)けっきょくのところ、私自身が尊敬を集めるにふさわしい人間に成長しなければ、「ともにがんばろう」といったところで、その熱意はいっこうに伝わることはない――そう思いいたってからは、自らの人格を高めるための哲学を身につけるべく、読書と勉強の日々が始まりました。
社会に出たばかりの私は、大学では化学しか勉強していない、いわば「専門バカ」といってもよいほどで、多くの人が最低限の教養として読むべき本にもほとんどふれていませんでした。したがって、結婚してから妻に、「こんな本も読んでいないのですか」とあきれられたこともしばしばでした。

そんな具合でしたから、私が始めた勉強は人よりも一周も二周も遅く、いやおうなく必死のものにならざるをえませんでした。しかも仕事を終えてからの時間の制約のある中での読書は、これもまたなかなか思うにまかせない。
それでも、哲学や宗教関係の本を枕元にたくさん積んで、どんなに忙しくて疲れた日でも、眠る前にかならず書物を手にとって一ページでも二ページでも読み進めることを続けてきました。そのペースは遅々たるものであっても、全神経を集中して読み、感銘を受けた箇所があれば、赤鉛筆で傍線を引き、何度も反芻(はんすう)する。
カメの歩みよろしく、一歩ずつながら心を磨き、人間を高める泥くさい努力を続けてきたのです。(P171-173に掲載)