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初の海外出張と子どもたちへの海外旅行のプレゼント
1976年7月30日、稲盛から10日間のアメリカ研修旅行をプレゼントされた京セラ社員の子どもたち20名が、東京国際空港(羽田)を旅立ちました。行き先はアメリカ西海岸やハワイ。京セラの関連会社があったサンディエゴでは、現地社員の自宅に2泊3日のホームステイも経験しました。稲盛がこの子どもたちへの旅行のプレゼントを思い立ったきっかけは、京セラ創業3年目の1962年に行った、初めての海外出張の経験にありました。
当時は終戦後まだ日も浅く、海外に出かける人は年にわずか15万人足らずという時代でした。「事業を伸ばすためにはアメリカ市場を開拓するしかない」と思いを定めた稲盛でしたが、文化も生活習慣も違う海外ということで、不安だらけでの旅立ちでした。洋式トイレも使ったことがなく、出発前日には松戸に住んでいた友人宅に泊めてもらって使い方を習うなどして備えました。出発当日は、幹部7~8人が見送りにかけつけ、手を振ってくれる彼らを機内から見た稲盛は、責任感と不安で胸がいっぱいになったといいます。
しかし、飛行機は思いに反してたいへん快適で、機内食もとてもおいしく感動した稲盛は、「こんな思いを自分だけがするのはもったいない。いつか、今日見送りに来てくれた幹部や工場で働いて苦労を共にしている社員もこういう飛行機に乗せてあげたい」と強く思いました。「現場で働く社員の中には飛行機に乗ることも海外に行くこともないまま生涯を終わる人もたくさんいるだろう。そうした社員を、飛行機に乗せ、海外に連れていってあげたい」と稲盛は思いました。その強い思いが後年、社員を香港旅行やシンガポール旅行に招待する動機となったのです。
さて、そうして到着したアメリカでは、英語が思うように話せず、また注文も取れないなど、苦しいことばかりの初出張となりました。それでも稲盛はアメリカの人々に接し、直に文化に触れる中で、自分の目の前の世界が急に大きく開け、視野が広がっていくような感動を覚えたと語っていました。
そして、このような経験をもっと若い、成長途上にある子どもたちにさせてあげたら、どれほどその人間的成長に役立つだろうと考えたのです。
その思いから稲盛は1975年、社員の子どもを先進国であるアメリカに招待して見聞を広げてもらう研修旅行の実施を提案したのです。この研修旅行は1976年から2000年まで毎年実施され、5回目からは社員の子どもばかりでなく、京セラの工場や事業所の所在する地域で公募した子どもたち20名も加わりました。研修旅行をきっかけに海外に興味を持ち、外国で働くようになったり、通訳や航空会社の仕事についたりと、参加した子どもたちは稲盛の思いをしっかりと受け止めてそれぞれに広い世界へと羽ばたいてくれています。そうした子どもたちの姿を稲盛は、きっと目を細めて見ているにちがいありません。
写真:結団式で子どもたちを前にあいさつする稲盛