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「京セラ従業員の墓」建立に寄せる思い

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お盆も終わりを迎えようとしていますが、ご先祖様のお墓参りをされた方もいらっしゃることと思います。京都府八幡市の円福寺には「京セラ従業員の墓」があり、建立誌には従業員に対する次のような稲盛の思いが刻まれています。

「我々は会社創業以来 全従業員の物心両面の幸福を追求する為に小善に安んずることなく大善を為さんと毎日刻苦勉励してきました。(中略)願わくば皆さんの霊魂が成仏され彼岸にあっても幸せであり時には此地に現世の如く集い談論風発 酒を酌み 盃を交わす場でもありますように願っております」

稲盛がこう考えた背景には、入るお墓が無い従業員の存在がありました。この従業員の墓が建てられた当時(1980年)は、都市化が進み、核家族が増加してきた時代でした。不幸にも亡くなってしまった地方出身の従業員は、ゆかりのないお寺に遺骨を預けてお祀りしてもらうしかありませんでした。稲盛は、一生懸命に働いてくれた従業員がそのようなところへ埋葬されたらさびしかろうと、彼らのための立派な墓をつくり、苦楽を共にした仲間が希望すれば、そこへ一緒に入れるようにすればいいのではないか、と考えました。1979年4月、建立誌を書き起こすにあたって稲盛は次のように述べました。

「会社墓の中に入っておりますと、我々と共に苦労した先輩・後輩の連中が、今後とも、四季折々に、参ってくれるだろうし、たまには水一杯もかけてくれるだろう。そうすると、無縁仏みたいな墓石にならずに、ちゃんとめんどうみてくれるだろうということもあって、実は、会社墓をつくったわけです。そのために、ふつうは、「慰霊塔(碑)」、「供養塔(碑)」、と名前がつくのですが、私は、「従業員の墓」と名づけました。では、「従業員」とはどういうことかと申しますと、一般に使われる、経営者があり、雇われる人間が「従業員」という、そういう意味では、うちでは使っておりません。つまり、業に従ずる人――私を含めた従業員、ですから「京セラ従業員の墓」と、呼ぶわけであります」
(稲盛ライブラリー企画展 「経営理念をベースに醸成された京セラの制度・文化」より抜粋)

現在においても、「京セラ従業員の墓」では、志半ばで亡くなった同志、発展の礎をつくってくれた先人たちへ感謝の気持ちを込めた供養が行われています。訪れる従業員たちは、感謝の気持ちを込めて京セラグループのさらなる発展を墓前に誓っています。

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