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京セラ労働組合の設立

1969年9月13日、京都セラミック労働組合が設立されました。
当時、労働運動が活発で、労働組合の上部団体はそれぞれに傘下の組合を増やそうと、積極的に各企業の社員に働きかけていました。規模の大きくなっていた京セラに対しても同様でしたが、多くの社員は「労働組合の必要性などない」と感じていました。しかし一部の社員の中で、労働組合をつくろうという動きが出始め、「組合など不要だ」とする社員との間で確執が生まれるようになっていきました。
大家族主義のもと社内の絆を大切にしてきた京セラにとって、社員どうしが対立することはなんとしても避けたいことであり、また、労働組合を否定していたわけではなかったので、同じ作るのなら「労使間の枠を超越した企業の人間集団の幸福をとことん追求する、世界に類例のない新しい労働組合をつくろう」と組合結成に至ったのです。
当時社長だった稲盛は、時代の趨勢や外部団体の活動状況、社内の状況などを熟慮し、全従業員の幸福の実現に役立つならばと、労働組合の設立に賛同しました。その設立大会の挨拶で、稲盛は自身の思いを次のように述べています。
「会社ができてから満10年、その間、我々の会社には組合がなく、一同、共に喜び、共に悲しみ、今日まで過ごしてきました。私は組合がなくても理想的な会社ができないものかと思ってまいりました。しかしながら、組合がないことが世間では不自然に見られ、そのために京セラの従業員が不幸であるという印象を持たれることがあったようです。このことに対し、私は非常に残念に思っておりました。
このたび我々と同じように企業を基盤にし、共に働く従業員の幸せも願っていくという考えに立って運動をやっておられる全繊(ゼンセン)同盟の方々のご協力を得まして、京都セラミックの労働組合が誕生したことを、私も心から喜んで祝福したいと思っております。(中略)
皆さんと共にこの企業を基盤とし、世間にないようなすばらしい組合に成長していただきますように、私も陰ながらご援助申し上げます。また同時に、我々京都セラミックは労使一体となって、すばらしい社会づくりを展開していきたいと思います」
(1969.9.13 京セラ労働組合設立大会での挨拶)
このようにして生まれた京セラ労働組合は、労使対立でも協調でもない、労使の枠を超えて共に全従業員の幸福の実現を目的として共有する「労使同軸」の労働組合としての歩みを開始したのです。
写真:1976年 労働組合会で講演する稲盛