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カメラマンが見た稲盛和夫 ソッカ(株)、対話之町京都ヲ目指ス上京 代表 小畑 あきら(元盛和塾 塾生)

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この写真は、2016年盛和塾第24回世界大会最後のプログラム「塾長講話」での思い出深い1枚です。
稲盛塾長は、講話の時に「原稿を読む」スタイルをとられていました。思いを余さず伝えるために、盛和塾では2000年代前半から次第にそのようになったと聞いています。ですから、講話の時には目線は原稿に注がれます。そんな時私は広いホールのあらゆる場所から撮影を試みながら、講話にも耳を傾け続けます。それは、話されている内容によって、聞き手の目がかがやき、身を乗り出す、考え込む、目を閉じるなど、さまざまな反応があるからです。

そして、原稿を離れて話される時。これは声を聞いていると分かります。それが、目線が客席へ向けられる時です。その時は、会場のどこにいても、シャッターを押します。ときには、ファインダーも見ずに押します。その「聴く撮影」の瞬間がこの写真でした。2日間の大会を通して、この時しかない!――そんな思いが詰まった1枚。そして、この2分後に稲盛塾長は降壇され、2016年の世界大会は幕を閉じたのでした。

私と稲盛塾長との出会いは昭和63年(1988年)車折神社での撮影でした。その後も仕事の場やプライベートの撮影もさせていただくことになりました。撮影を通して、多くのことを学ばせていただきました。

まず、いかに自分が透明人間となるか。こちらの撮影を優先すると相手に負担がかかります。かといって遠慮すると撮れません。気配を消してにじり寄って撮り逃げる。こちらの都合を優先しない撮影の方法を学びました。

また、稲盛塾長が次の瞬間に違う表情(モード)になっているのを、何度もファインダー越しに見ました。それほど一分一秒を大事にされています。ですから、こちらがモタモタしていると、「はよせんか!!」と言われました。撮影は、相手の行動を妨げても、時間を無駄にしてもいけないのです。しかしそんな厳しさの反面、「重い機材を持って遠くまでご苦労さん」と声もかけていただきました。

そして冒頭でも述べましたが、「聴く撮影」です。たとえ内容を理解せずに聞いていたとしても、その抑揚や熱量に人の動きや表情は伴っています。だからこそ聴きながら撮る必要があることを学ばせていただき、現在にも生きています。

この写真は、2019年盛和塾最後の世界大会塾長講話でも使っていただきました。この年稲盛塾長は欠席で、代読とイメージ写真上映による講話でした。講話最後の「盛和塾が終わろうと、私の心の中に、ソウルメイトである皆さん塾生は生き続けます。同じように、皆さんの今後の経営に、私のフィロソフィが生き続けることを願い、最後の盛和塾世界大会を結ぶ言葉にさせていただきます」というメッセージの部分に、この写真が添えられていました。

それを見たとき私は、この写真を撮った時に、先の時代、たとえば50年、100年先まで使われるかもしれないとまでは考えていなかったように思いました。「未来を考えながら今を生きること」――それが盛和塾の撮影で学んだ最後の教えだったように感じます。

写真:2016年7月14日 14:58
盛和塾第24回世界大会 塾長講話