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稲盛和夫の初恋

10月30日は、初恋の日。ふと稲盛和夫の初恋は? と気になり、データベースを繰りました。ヒットした稲盛の発言は唯一、2004年9月の盛和塾「盛岡」例会において、憧れの稲盛に会うため前夜から眠れなかった塾生に対し、「初恋の人に会う気持ちですね」と声をかけたときだけのようです。
稲盛がもの心ついた時代を考えれば、無理はありません。昭和7年生まれの稲盛は少年時代を戦時下で過ごしました。自伝『ガキの自叙伝』をひもといてみても、色恋に関する記述は、戦後の鹿児島大学時代までありません。推定ですが、稲盛の初恋はそのときだと仮説し、振り返ってみましょう。
稲盛家は戦後、経済的に困窮し、稲盛もアルバイトで家計を助けました。勤務先は、鹿児島一の百貨店である山形屋(やまかたや)。「夜警」というから、稲盛は今で言うガードマンとして勤務しました。本人は次のように語っています。
「アルバイトにも精を出した。百貨店、山形屋の夜警の際、女子店員にひかれたことがある。山形屋に親せきがいるという川上君の骨折りで映画に誘い出すことに成功した。川上君と天文館通りの映画館に連れ出したものの、隣にいる彼女が気になって中身はさっぱり記憶がない。食事をして家まで送り届けたのだが、気の利かない介添人がどこまでも世話を焼き、ついに二人だけにしてくれなかった。その後、やっと二人きりで会えた晩、「もうすぐ東京にお嫁に行きます」と告白された」『ガキの自叙伝』(日経BP社)
「初恋は実らない」との原理原則は、稲盛においても貫かれたのです。

写真
1枚目:稲盛が夜警をしていた昭和29年の山形屋
2枚目:現在
写真提供:株式会社山形屋