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稲盛ゆかりの地を巡る -経営理念誕生の舞台となった 広沢市営住宅(京都市右京区)-

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稲盛ゆかりの地を巡る第4回目は、京セラ創業時に稲盛が住んでいた嵯峨広沢にある市営住宅です。当時、社内で起きた出来事の一つに「高卒組の反乱」がありました。会社の存亡を懸けて皆が夜を日に継いで働く中、若手社員たちが稲盛に待遇改善を求め「認めてくれなければみんなで辞めます」と迫ったのでした。稲盛は、彼らの思いを真正面から受けとめ、じっくり話を聞こうと考え、この市営住宅で話し合いの場を持ちました。このやり取りを稲盛は自著の中で次のように語っています。

「京都セラミツクを創業して3年目の1961年(昭和36年)4月末のことだ。前の年に入った高卒社員11人が突然、私の席にきて、いきなり『要求書』を突きだした。定期昇給とボーナスなど将来の保証を約束してほしい、などといった内容だ。(中略)

自宅でひざを付き合わせての交渉は3日間に及んだ。一人、そして一人とうなずき、最後に一人だけ残った。『男の意地だ』となお渋る彼に、『もし、お前を裏切ったらおれを刺し殺していい』と迫るとついに私の手を取って泣き出した。
そもそも創業の狙いは自分の技術を世に問うことであった。この反乱に出会って私の考えは大きく変わった。こんなささやかな会社でも、若い社員は一生を託そうとしている。田舎の両親の面倒もろくにみられんのに、社員の面倒は一生みなくてはいけない。これが会社を経営するということなのか。

この体験からこんな経営理念を掲げるようになった。『全従業員の物心両面の幸福を追求する』。私の理想実現を目指した会社から全社員の会社になった。生涯かけて追求する理念として、この後にこう付け加えた。『人類、社会の進歩発展に貢献すること』(『ガキの自叙伝』より)

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写真
1枚目:自宅での交渉のイメージ(京セラ創業40周年記念DVD「挑戦と創造」より)
2枚目:現在は鉄筋6階建てとなっている広沢市営住宅
3枚目:1962年の稲盛(当時稲盛は専務)

〈嵯峨広沢ガイド〉
・所在:嵯峨広沢御所ノ内町
・京福電鉄嵐山本線(嵐電)「車折神社駅」下車、丸太町通向井北へ徒歩10分