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日本初の電気トンネル炉を考案

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稲盛ライブラリー2階「技術・経営」のフロアには、稲盛が考案した電気トンネル炉(模型)が展示されています。これは1957年2月、松風工業で製造現場を任されていた稲盛が、急増するU字ケルシマの受注に対応するために、電気炉メーカーの東海高熱工業株式会社の協力を得て開発したもので、当時としては連続焼成を可能にした画期的な炉でした。
この新しい電気トンネル炉に賭ける稲盛の情熱について、青山政次(京セラ第2代社長)は次のように述べています。

「U字ケルシマの試作段階を経て、松下電子よりまとまった注文が受けられるようになった。しかし、今ある小さな単独電気炉では数量をこなし得ないので、ここに稲盛考案の特殊磁器焼成用電気トンネル窯が、日本で初めて生まれるのである。
稲盛は、早速、東海高熱(電気炉製造業者)を呼び寄せ、あれこれと窯の設計を打ち合わせ、大方の設計がまとまり会社側へ稟議をして購入手続きを取ることになっていた。ところが、東海高熱ではすでに前から製作を進めており、注文もしないうちに近く完成納入の段階になっていた。当時私は特需部長も兼任していたので、これを知って驚いた。

どうしてこんなことになったのかと原因をしらべると、営業課長の北大路が稲盛の設計打ち合わせをしているのを聞きながら、これは早急に必要なものと考え、上司の許可も得ず独断で発注していることが分かった。(中略)

思いがけなく早くトンネル窯ができ、それだけ早く松下電子にU字ケルシマが納入されることになったので、松下にも喜ばれ、大いに幸いしている。しかし、これとても稲盛が業者と打ち合わせている時の、今にもすぐ欲しいのだという強い願望が、おのずと北大路に通じ、そうさせたものである。これが日本で、フォルステライト磁器が電気トンネル窯で焼成され、商品化された最初であり、日本の特殊磁器業界の発展に貢献したことは、特筆大書に値する」
(青山政次著『心の京セラ二十年』)

当時、電気炉製造に携わった技術者によると、連続炉という概念そのものは伝統産業にすでに存在していたが、電子部品業界に応用し、セラミックスを量産できる装置へと変革を遂げたことが画期的であったといいます。そのように常識にとらわれず、発想を転換することでイノベーションを実現していく精神は、今も変わらず受け継がれています。

写真:京セラ創業時に設置された電気トンネル炉