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稲盛和夫の父

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今年は、6月19日(日)が父の日。ロシアの文豪ツルゲーネフの小説に、「年が離れた男が二人立っている。会話はない。ならば親子だ」という趣旨の一節があるそうです。稲盛も、お母さんについては多くを語っていますが、お父さんへの言及はぐっと少なくなります。しかし、父子の絆は目に見えずとも、地下水脈のように太く、深い愛情と信頼が流れています。

稲盛の人生の正念場といえば、松風工業を退社し、京セラを設立しようとする、1958年(昭和33年)も押し迫った頃のことでしょう。温暖な鹿児島を離れ、厳寒の京都で奮闘する息子を想い、父畩市(けさいち)は布団と丹前を送ります。
応えるかのように、稲盛は父宛に長い手紙をしたためます。そこには、将来を嘱望されながらも松風工業を退社すること、新会社を設立すること、そして生涯の伴侶との結婚式の案内がありました。
人生の岐路に立つ息子を案ずる父への手紙を、当時26歳の青年稲盛はこう結びました。

「和夫のする事です。かならずなしとげます。御心配なく。安心しておって下さい。二~三年後には立派になります。それ迄のしんぼうです。(中略)父上様 和夫より」(『思い邪なし』毎日新聞出版社刊より)

1958年11月15日付の息子からの手紙を、父はどんな思いで読んだことでしょう。畩市はこの手紙を1994年に亡くなるまで、ずっと大切にしていましたが、現在は形見分けで稲盛の手に戻されています。父子の絆は、今も脈々と息づいているのです。

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写真
1枚目:家族、いとこと(後列右から稲盛、父畩市)
2枚目:畩市
3枚目:稲盛から父に宛てた手紙