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「あの日あの時稲盛和夫」佐々木正氏(工学博士、シャープ元副社長
かつて稲盛が主宰していた「盛和塾」の機関誌の1コーナー、「あの日あの時稲盛和夫氏」より、今回は工学博士でシャープ元副社長の佐々木正さんの回を一部抜粋にてご紹介します。
佐々木正さんと稲盛の出会いは古く、稲盛が松風工業を退社し、新しく京都セラミックを興した頃(1959年)にさかのぼります。佐々木さんが神戸工業(元川西機械製作所)の工場で真空管の製造に携わっておられた時に、稲盛が真空管用の絶縁材料を売り込みに訪れたことがきっかけでした。「とにかく仕事熱心で頼もしく、気迫で圧倒される感じだった」という稲盛の熱意にほだされて部品を注文されたのが、その後の長いお付き合いの始まりだったそうです。
その後、佐々木さんが早川電機工業(1970年にシャープに社名変更)に移られたことを機に、1960年代の電卓、70年代の太陽電池の研究へと、より深い関わりへ変化していきます。17歳年上の佐々木さんに、稲盛はどのように映っていたのでしょうか。
機関誌「盛和塾」51号の中で、稲盛が部下を思いやる姿勢について次のように述べられています。
(京セラの)忘年会に行ったこともありますが、稲盛さんが一人ひとりの従業員へ声を掛けられるのを見て感心しました。部下を思いやるという面で、あれだけの努力は私にはできません。そして、トップとしては、従業員の生活の糧を稼がないといけないという責任感の強さと同時に、先ほども言いましたが、稲盛さんは、お金の必要性を心得ておられ、資金をつくることに関しては名人だと思います。だから、蓄えたときには必ずと言っていいくらい何か事を起こしておられます。(中略)技術オンリーではない先の見える技術屋です。」
また、時に集まりお互いから勉強する会を持っていた二人。「稲盛さんと私とは『場』が合い、エネルギーを交換し合う関係。それには価値観の違うものがお互いを信頼し合い、特徴・長所を理解していて、いつも感謝していること。それらがあるので、裏切ることは絶対にない」と結ばれています。