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寄稿紹介① 稲盛初の寄稿「最近のアルミナ磁器について」

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今月より稲盛が雑誌や新聞に行ってきた寄稿についてご紹介していきます。

京都セラミック創業の半年前である1958年10月、稲盛は松風工業の技報『松風碍子』(Technical Report of Shofu Insulator)に「最近のアルミナ磁器について」と題する論文を寄稿しています。

当時、稲盛が勤めていた松風工業では、主力製品である特別高圧碍子部門の赤字が続いており、稲盛が率いる特殊磁器(ニューセラミックス)の部門だけが収益を出し続けていました。上司であった青山政次(のちの京セラ2代目社長)は、元々窯業の専攻ではない稲盛が、入社後わずか1、2年で特殊磁器事業を見事に軌道に乗せた手腕を高く評価し、「稲盛ならば碍子も立て直せると思い、ある日、稲盛に碍子の方も手伝ってくれないか」(青山政次著『心の京セラ二十年』)と依頼するほどでした。

そうした周囲の期待に応えるように、稲盛は絶えず新しい技術開発に努めていたことが、この論文から伺えます。稲盛はこの寄稿で、電気絶縁性、熱伝導度に極めて優れた性能を持つアルミナ(酸化アルミニウム)磁器について、従来品では焼結に要する温度があまりに高く、生産コストの点で課題があることに触れ、その解決策を提示しています。具体的には、原料の粒度をさらに微細(数ミクロン)に調整し、添加剤を変更することで、焼成温度を従来品の1600℃から1350℃まで低下させることに成功したのです。そして、このことによって、ニューセラミックスの可能性が大きく広がるとして、次のように論文を締めくくっています。

「焼成温度の低下による低コストの利点と成形方法が割に自由で任意の形状のものが得易い特長とは一層御利用の途を広くするものと云える。最近クローズアップされているアルミナ系セラミック工具にもこのような諸性質はそのまま適当しているのでその方面にも大きく前進出来るものと信じられる」

驚くべきことに、のちに1970年代に京セラの多角化の一環として進出することになる機械工具事業への構想が、すでに27歳の青年稲盛の脳裏に芽生えていたのです。

※論文は「国立国会図書館デジタルコレクション」に収録されています。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1835844/16
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