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稲盛ゆかりの地を巡る-「鹿児島餃子の王将 中町店(鹿児島市中町)」鹿児島市小山田町

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稲盛ゆかりの地を巡る、今回は鹿児島餃子の王将 中町店です。

鹿児島に「餃子の王将」ができたのは、稲盛が弟たちのため、京都にある「餃子の王将」に「のれん分け」のお願いをしたことがきっかけでした。
餃子の王将でアルバイトをしていた義弟が独立を希望していたことを稲盛が知り、先方の社長にかけあったところ快諾され、鹿児島県では別会社として経営することになりました。

時に1978年、義弟は稲盛の実弟と共に鹿児島王将株式会社を設立し、県下一の繁華街 天文館の中心部に1号店餃子の王将中町店をオープンしました。開店初日には稲盛本人が来店し、スタッフとして手伝いを買って出たことは、今でも語り草となっています。
町の中華食堂としてのこのビジネスに、稲盛はどのような思いを抱いていたのでしょうか。それについて、盛和塾生たちへ次のように述べたことがありました。

「地元の特色を生かし、そして人一倍努力をする。人に負けない努力をするのです。そうすれば、事業というものはそんなに難しいものではありません。いいアイデアがあったから、いい技術があったから成功するのではありません。どこにでもありそうな仕事、些細な仕事をしていても成功できるはずだと、私は思っています。

たとえば、私の一番下の弟は鹿児島で餃子屋をやっております。七人兄弟の一番下なものですから心配で、彼が餃子屋を始めたとき、私がそこで1日中、餃子を焼いてお客さんに出したことがありました。鹿児島の繁華街だったせいもあって、「えっ!? 京セラの社長が餃子を焼いている」とびっくりされた方もいました。その餃子屋が、今店舗を増やしていくまでになっています。

そこは本当にささやかな餃子屋です。それでもたくさんの従業員を雇って、彼らの生活を守ってあげて、すばらしい収益をあげているのです。経営というのはそれで充分だと私は思うのです。

私は売上高1兆円近い京セラグループを経営していますが、だからといってそれだけで立派だというものではないのです。皆さんには、まず地域に根ざした、本当に堅実な経営を、ぜひやって頂きたいと思っています」(1994年3月25日 盛和塾長崎開塾式講話より)

堅実に経営を伸ばし、従業員の生活を守る。そんな稲盛の思いを体現し、今日では鹿児島県に8店舗を展開するまでに成長した鹿児島餃子の王将。地域独自の美味しさを追究する姿が愛される繁盛店として、これからも成長発展を遂げていくことでしょう。

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