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稲盛ゆかりの地を巡る-「京都市山科区・旧京セラ本社」
稲盛ゆかりの地を巡る。今回は京都市山科区の旧京セラ本社です。
1972年7月5日に完成した建屋は、当時 年商68億円、従業員1,300人だった京セラが、さらなる飛躍を目指すための待望の新拠点でした。鹿児島の新工場立ち上げや海外現地法人の設立もあり、世界に広がる京セラグループの中枢として、事業と人を育てる上で重要な役割を果たしました。
当時の新本社落成祝賀会挨拶で、稲盛は次のように述べています。
「この本社ビルは私たちには、少し荷が勝ちすぎる。分不相応な大きさとなっておりますが、これは、国内は云うに及ばず、海外の営業活動の情報もここに集中すること、いわゆるマネジメント・インフォメーション・センター・システムをつくって、より円滑な経営をしていきたいと思っております。(中略)企業は人なりと申しますが、確かに、私は人が物をつくり、人が企業をつくっていくと痛感しておりますので、どういう人が、どういう心が物をつくり、どういう考え方が、立派な企業をつくっていくかということを、皆で寄って研鑽に努めていきたいと思っております」
現在では京セラ本社は同市伏見区に移り、旧山科本社は2013年には京セラグループでの役目を終え、同じ京都創業の電子機器メーカーである竹中センサーグループの事業所となっています。稲盛が、京セラの成長発展を目指す中で、DDIによる通信事業への参入、稲盛財団の設立、盛和塾の発足という後世に残る事業・活動に思いを馳せた社長室は、当時の内装をそのままに、今も大切に残されています。(※)
国道一号線の道路沿いに建つこの社屋は、東海道新幹線の車窓から眺めることができます。新幹線で京都にお越しの際には、探してみてください。
※竹中センサーグループ様では事業所の見学対応は行っておられません。訪問、お問い合わせ等はご遠慮ください。
写真
1枚目 落成時の旧本社社屋(社内報「敬天愛人」39号 1972年11月発行)
2枚目 東海道新幹線沿いにある旧本社
3枚目 執務机での打ち合わせ(1984年)
4枚目 現在の執務室(竹中センサーグループ提供)床や壁、つくり付けの棚は当時のまま
