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稲盛ゆかりの地を巡る-「東京都新宿区・KDDIビル」
稲盛ゆかりの地を巡る。今回は新宿西口の高層ビル街にあるKDDIビルです。
1974年に旧KDD本社として建設され、現在でもKDDIの会社登記上「本店」とされているこのビルは、2000年のDDI、IDO、KDDによる歴史的な大合併の際、銀色に輝くKDDIロゴの除幕式の舞台となりました。通信業界の健全な発展を促すため、巨大なNTTへの確固たる対抗軸が必要だと考えた稲盛は、通信自由化の重要性と、経営責任の明確化や意思決定の迅速化など、三社が果たすべき役割について説き続け、対等合併ではなくDDIを中心とすることで「小異を捨てて大同につく」という高い理想に基づいた企業統合を実現しました。
このような粘り強い説得を経て迎えた三社合併の日。その舞台となるビルについて、稲盛の伝記の中で次のように描写されています。
「平成12年10月1日、ついに新会社設立の日を迎える。この日の朝、空には厚い雲が垂れ込めていたが、新宿のKDDI本社へと向かう稲盛の表情は晴れ晴れとしていた。ここは旧KDD本社ビルである。通信という重要な社会インフラを担うことから耐震性やテロ対策も考慮され、新宿の高層ビル群の中でもひときわ堅牢に建てられている。上層階の窓からは、晴れた日にはくっきりと富士山が見える」(『思い邪なし』北康利著 毎日新聞出版刊)
そんな新宿ビルですが、合併直後にKDDIの財務改善に一役買うことになりました。巨額の設備投資で約2兆2千億円という有利子負債を抱えていたKDDIは、新宿を含む4棟の自社ビルを不動産証券化して売却するなどの方法で債務の削減に務めました。これが効を奏し、負債は4年で1兆円以下にまで削減したのでした。その後財務が改善し、2008年には買い戻され現在も自社ビルとして使われています。
KDDIの本社機能は、時代とともに移り変わり、2003年から飯田橋のガーデンエアタワーへ。さらに2025年春には高輪ゲートウェイへ移転予定となっていますが、本店としての新宿ビルはKDDIの歴史を見守ってきたシンボルとして、現在も西新宿に佇んでいます。
写真:
1枚目 KDDIビル外観 (KDDI株式会社提供)
2・3枚目 KDDI合併時 除幕式(2000年10月2日)いずれも右から2番目が稲盛