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寄稿⑯「島田欣二先生の退官に思う」(『舎密会誌』第7号 1987年4月)
鹿児島大学工学部時代の恩師であり、卒業論文の指導教官を務めた島田欣二先生の退官にあたり、稲盛は同応用化学科同窓会「舎密会」(舎蜜〈せいみ〉はオランダ語で化学を意味するchemieの音訳)発行の同窓会誌『舎密会誌』(1987年4月)に「島田欣二先生の退官に想う」と題して寄稿しました。
この中で稲盛は島田先生について、学問はもちろんのこと、それ以上に重要な「人と人とのふれあい、人間性というものの大切さ、人間的な幅をもつことの意義」を教えてくれた「人生でめぐりあった大切な師の一人である」と述べるとともに、卒業論文執筆時の忘れえぬエピソードとして、鹿児島県の入来峠での粘土採取の思い出を次のように紹介しています。
私の卒業論文は「入来粘土の研究」であった。もともと有機化学に強い興味をもち無機化学には関心の低かった私の気持ちを、まるで見すかすように自然のうちに窯業の分野へと導いていただいた。今まで誰も手をつけたことのなかった入来に産出する粘土を研究のテーマに与え、粘土の採掘から始まって論文の完成にいたるまで、実に懇切丁寧にご指導いただいた。
最初に粘土の採掘に出かけた日の思い出は、今でもつい昨日のように鮮明に描き出すことができる。早朝天文館のバス停で待ち合わせ、ズック靴にリュックサックを背負って入来峠に向かった。先生のリュックサックの中から出てきたのは焼酎入りの水筒。焼酎をいただくうちにバスは峠に到着、山に入って粘土の鉱床の露出部を見つけてサンプルを採取して、山を下りて来る。
途中に入来中学校があり、高専時代の二人の教え子が教師をしているからと立ち寄ることになった。思いがけない恩師の来訪に驚き、喜び感激したお二人の先輩(私にとって)によって入来温泉で心づくしの夕食と焼酎での大歓迎をうけ、鹿児島本線に接続できる最終便で入来から川内へ、酔いつぶれて車中で寝入ってしまった私は川内駅での乗りかえでは半分先生にかつがれてようやく列車に乗る始末。私にとってはかけがえのない、とても懐かしい思い出である。こんな事を先生は今も覚えていてくださるだろうか。
現在私がファインセラミックの分野で研究者として、技術屋として、また企業の経営者として広く世界的な規模で活動できるのも、元をただせば、入来の粘土から無機化学、ファインセラミックの入口へと暖かく導いていただいたことに始まるわけであり、人間の邂逅の不思議さを思わずにはいられない。