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寄稿㉓「身勝手な景気対策依存」(読売新聞1992年11月11日「論点」)

いつの時代においても、常に企業、国民は政府に景気対策を期待してきました。特に不況期において、その要望は高まっていきます。1992年当時も、景気テコ入れと金融・株式市場の安定を目指した緊急総合対策が実施されましたが、経済界各方面からは「発動のタイミングが遅すぎた」、あるいは「規模が小さすぎる」といった発言が相次いだそうです。さらには、所得税減税論との関連で赤字国債発行やむなしとの論調が現れるに至って、稲盛は11月11日付の読売新聞「論点」に「身勝手な景気対策依存」と題して寄稿し、次のように世の風潮に疑問を呈しました。
「景気がよく、もうかっているときには利益を独り占めし、その行為をおかしいとも思わない。そして利益が減少したり損失がではじめると、それを自業自得と考えず、政府の経済対策の誤りだとして責任を他に押しつける。有識者、知識人、はたまた社会のリーダーの立場にある方々が、臆面もなく、何の矛盾も感じておられないようにみえる。耐え忍ぶということができなくなっているのではないか。この風潮は、社会をますます住みにくいものにしている。(中略)
我々は、この不透明な時代に向け、懸命にシミュレーションを重ねなければならない。官僚主導型の経済運営が機能しなくなった今、我々を導くものは我々自身の知恵と工夫でしかないのではないだろうか。日本経済がそのダイナミズムを再び取り戻すためには、日本人に新たな資質が求められているように思う。既成概念にとらわれない創造性、天真爛漫なほどの自由な発想、果敢にチャレンジする行動力が必要となった。また何にもまして、他者の庇護に頼らない"無頼心"を持ち反骨精神にあふれたアウトサイダーでなければならないと思う。
そのような次代を切り開いていく人材の育成と新しいシステムの創造こそが今検討されなければならないのであって、利己的な立場から政府の経済対策をうんぬんするときではなかろうと思う昨今である」
写真:寄稿当時の稲盛(1992年)