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寄稿㉕「不景気もまた良し」(『Voice』1994年1月号)

不景気が続き、政府に対して「減税すべきだ」「公共投資を大幅に増額すべきだ」との意見が多数だった1994年当時、稲盛は『Voice』(1994年1月号)の「緊急特集 さらば平成大不況」に「不景気もまた良し」と題して寄稿し、次のように経営者のあるべき姿について正した。
「景気のいいときに、景気が悪くなったときに備えて準備をしておくというのは、健全経営の基本であったはずです。しかし、多くの経営者はそれを怠り、現在の不景気に際してたいへん弱気で、まるで神頼み、政府頼みをしているような印象を受けます。
これらの発言が出てくる理由は、この不景気に企業経営が耐えられなくなったからではなく、損をすることに我慢ができなくなったからではないでしょうか。その証拠に、企業倒産が続出しているというニュースはいまだ聞きません。ちょっと損をするとすぐに悲鳴をあげる。そんな経営者がとても多くなりました。(中略)
いまの多くの経営者は、自らバブルのときの安易な経営の責任を咎めだてられるのがいやで、その責任を回避しようとしているのかもしれません。この不況で自らの安易な経営の綻びがいっせいに露呈し、自分の会社の経営そのものが苦しくなってきた。自分の会社がたいへんなのか、それとも社会正義的にたいへんなのかを切り離して発言すべきなのに、自らは正義の味方を気取り、社会正義を装っておられるのではないでしょうか。(中略)
経営の場において好不況が織りなすこと、またその不況によって、苦しい経営を強いられること、それも経営者にとってたいへん貴重な経験であって、そのなかで耐えていけるということが健全な経営の姿であるはずです。不況がいかにつらいからといって、そこから早急に回避し、逃げようとするのは、決して経営者のすべきことではないと思います。(中略)
経営者は、経営責任者である以上、従業員を幸せにするということを含め、企業が生き残るために努力しなければならないことはいうまでもありません。しかし、現在の経営者の方々の思考のなかに欠如していると思うのは、企業のほんとうの存在理由はどこにあるのかを問う、基本的な思想ではないかと思います。社会のなかで存在するということは、言葉を換えれば、一般国民がその企業が存在することを欲しているということであり、そういう存在理由がない企業は消えていく運命になければなりません。社会がその企業を必要としているか、その企業は国民のためになっているか、つねにこの座標軸でものごとを考えなければなりません」