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稲盛ゆかりの地をめぐる-「和輪庵」(京都市左京区)

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稲盛ゆかりの地を巡る。今回は京セラの迎賓館として数々の歴史的場面に立ち会ってきた京都市内の庭園建築「和輪庵(わりんあん)」です。哲学者西田幾多郎の愛した散策路、「哲学の道」、その南端から北に向かい徒歩6分に佇む建屋は、名匠七代目小川治兵衛の作庭による和風庭園の美しさがその特徴と言えます。

もともと明治時代の実業家 蒲原達弥の邸宅でしたが、1980年に京セラに所有権が移り、洋館と庭園の増改築が施され現在に至ります。迎賓館という特性上非公開の施設ですが、ここは京セラの歴史上大きな転機となったM&Aや、新規事業への挑戦の起点の舞台として使われてきました。もっとも有名なのは、第二電電設立の際に語られるこのエピソードではないでしょうか。

「第二電電は、たいへん優秀な五人の技術者をNTTから迎えて始めました。毎週末、この五人と京セラの迎賓館である「和輪庵」に泊まり込み、第二電電をどのように設立し成功に導くかを議論しました。こういう週末を、休まず六箇月も続けた後に、ようやく私たちのビジョンがはっきりしてきたのです。私が第二電電を設立する決心をしたのは、私たちのビジョンが完全にはっきりとし、この事業が実現可能であると納得したからです。障害は数多くありましたが、私たちはビジョンがはっきりとしていたため、乗り切ることができたのです。不安や焦りは、全くありませんでした。むしろ、この夢は必ず実現できるという、確信を抱いていたのです」(『PASSION for SUCCESS成功への情熱』

この技術者たちの最初の会合が、19831123日に和輪庵で行われたことから、平安時代に鹿ケ谷(ししがたに)の山荘で僧 俊寛らが平家討伐の計画を練った史実にちなんで、参加者たちから「鹿ケ谷の変」と呼ばれていたと言われています。

他にも、テレビ番組のインタビューや京都賞受賞者の歓待などその用途は様々ですが、稲盛はこの中の一室を引退後の勉強部屋として利用しようと考えていたことがありました。しかし、実際に使ってみると広い邸宅の中で一人という寂しさから、やはりやめておこうとなった微笑ましい逸話も伝えられています。

所在地:京都市左京区鹿ケ谷上宮ノ前町(一般向けの公開はしておりません)市営地下鉄東西線蹴上駅から徒歩約25

写真
1枚目:和輪庵庭園
2枚目:和輪庵応接にて(1982年)
3枚目:案内図

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