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うどんの日 (天国と地獄の違い)

250703

昨日、72日はうどんの日でした。運動会のうどん早食い競争や夜泣きうどんなど、過去に何度か「稲盛とうどん」についてご紹介してきました。今日は稲盛が最もよく話したうどんの話、「天国と地獄の違い」についてご紹介します。

「大きな釜にうどんが煮えていて、多くの人が釜を囲んでいる。手元にはつけ汁があり、1メートル以上ある長い箸で食べるというルールがある。

地獄では、『食べてもいい』と言われた瞬間から長い箸を釜に突き入れ、うどんをつまみあげようとする。しかし、うどんはツルツルしてなかなかつまめない。ようやくつまみあげても、向こう側にいる人が『あいつに食われてはいかん』と思い、そのうどんを落とそうとする。腹が立つものだから、長い箸で向こう側の人の箸を叩く。

ようやくうどんをつまみあげても、箸が長くて口にうどんを運ぶことができない。ボヤボヤしていると、隣にいた人が自分のうどんをパクッと食べる。釜の周りは修羅場となり、みんな恐ろしい形相になっている。これが地獄のさまです。

一方、極楽では『いただきます』と言って、地獄と同じ長い箸を使うけれども、つまんだうどんを自分で食べることはできないから、向こう側にいる人の手前に置いてあるつけ汁にうどんをつけて、『どうぞ』と言って口に運んであげる。向こう側の人も『ああ、おいしゅうございました。あなたもどうですか』と言って、お返しをする。お互いに食べさせてあげるから、長い箸でも何の不自由もない。相手も喜んでくれるし、自分も食べられる。そして、みんながにこやかに『ご馳走さまでした。ありがとうございました』と言い合い、すばらしいやさしい雰囲気で食事が終わる。それが極楽なのです」

このように、状況は同じでもそこにいる人の心の違いだけで天国にも地獄にもなる。稲盛はこの話を通して、自分の心がつくりだしたものが今の環境であり、心がいかに大切かを伝えていました。

このエピソードは、京都大学 山中伸弥先生との対談でも話題に上がりました。山中先生は、科学者であれば箸が長すぎて食べられないなら、つまむときは長くて、手元のボタンを押せば縮むようなものをつくろうと考えてしまう。しかし天国ではそんなことをしなくても、長い箸を使ってみんなが仲良く向かいの人に食べさせてあげている。その気持ちを忘れて、科学技術に走ってしまうと、うどんは食べられても、決してみんな幸せにはなれない、と答えられていました。

※上記は対談本『賢く生きるより、辛抱強いバカになれ』に収録されています。