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社員が語るエピソード 「稲盛名誉会長との思い出」⑫ 特別編

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稲盛の逝去から24日で早3年。今月より、稲盛との最も長い接点をもつ、京セラ元会長 伊藤謙介の稲盛追悼エッセイを転載いたします。

これは、20229月から12月まで月1回、京都新聞に掲載されたもので、経営者の「涙」「魂」「愛」「志」と題され、伊藤しか知り得ないエピソードが語られています。本人と京都新聞社の了解を得て、原文のまま4回に分けてご紹介します。

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「経営者の涙」 京セラ株式会社 元会長 伊藤 謙介

京セラ名誉会長稲盛和夫の逝去に心より哀悼の意をささげたい。

このたび京都新聞から稲盛との思い出を寄稿してほしいと要請をいただいた。長年にわたり稲盛から指南を受けてきた自らの使命として、お引き受けした。

70年近く指導いただいた。長いようで短かった。凝縮した結晶のような年月だった。叱られたこと、褒められたこと、いろいろとあった。心のひだの奥深いところに潜み、しかし今も鮮やかに輝いている、ひとつの出来事から書き始めたい。

あれは確か、京セラ創業(1959年)から3年ほどたった頃。社員28名で始めた会社は、50名ぐらいに成長していた。当時はまだ30歳の稲盛が十数名の幹部を招集し、慰労コンパを開催した。「ご苦労さま。みんなよく頑張ってくれている」と、ねぎらいのあいさつから会は始まった。

テーブルせましと並んだ豪華な中華料理に舌鼓を打ち、酒を酌み交わし、「京都一、日本一、世界一の会社をめざそう」と、若いエネルギーが爆発した。稲盛もずいぶん飲んでいた。会が終わった後も23人の幹部に声をかけ、近くのクラブで2次会が始まった。店にはわれわれだけ。瀟洒なクラブが熱く燃えた。

ひとしきり心が奮い立つような会話がはずみ、一瞬途絶えたときのこと。稲盛が静かに語り始めた。

「......こんなことをしてしまった。......大変なことをしてしまった......責任を負うことになってしまった......もう後に引けない......」

魂から絞り出したかのような"うめき"であり、聞き取れたのは隣に座る私だけだった。思わず、稲盛の顔に目をやった。

薄暗い室内ではあったが、稲盛の頬に一筋の光るものが確かにあった。そのとき私は、経営者としての責任の重み、とりわけ従業員の生涯にわたる雇用への責任、企業の社会的責任を果たすべく、敢然と挑もうとする、若き経営者の決意と覚悟を見た思いがした。

この年の春、稲盛は若い社員たちから待遇改善を求める「反乱」を受けていた。三日三晩、自宅にまで連れ帰り、稲盛は彼らと徹底的に話し合った。このとき、企業経営の目的が、従業員の物心両面の幸福の追求と社会の進歩発展への貢献にあることを稲盛は理解し、以後、生涯にわたり貫き通した。

このことを、自らの信念とし実践していくことは容易ではない。しかし真の経営者をめざすならば、血がほとばしるほど、魂に深く刻み込んでいかなければならない。私が垣間見た稲盛の涙は、その決意の瞬間であった。

今まで、様々な仕事に携わってきた。重大な局面であればあるほど、深く悩めば悩むほど、私はこの一瞬を思い出し、仕事の壁に挑んできたように思う。

写真1:1960年代前半の稲盛と伊藤(右)
写真2:1962年創立記念式典での集合写真

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