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社員が語るエピソード 「稲盛名誉会長との思い出」特別編2

8月より「特別編」として、稲盛との最も長い接点をもつ、京セラ元会長 伊藤謙介の稲盛追悼エッセイを転載しています。
本エッセイは、2022年9月から12月まで月1回、京都新聞に掲載されたもので、経営者の「涙」「魂」「愛」「志」と題され、伊藤しか知り得ないエピソードが語られています。
第2回の今回は、「魂」です。
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「経営者の魂」 京セラ株式会社 元会長 伊藤 謙介
京セラを創業した稲盛和夫は、京セラの社内会議や研修会、またコンパなどで、経営の数字よりも、人間としての生き方や考え方、つまり一個の人間として、いかに生き、いかに考えるかということに多くの時間を費やした。
例えば、会議で人間としていかがなものかという、ネガティブな発言があれば、発表者の心理状況はおろか精神状態にまで踏み込み、どういう心の持ち方をして生きていかなければ立派な経営ができないか、1時間でも2時間でも諄々(じゅんじゅん)と説いた。発言者の言葉が明るく前向きになり、生きる姿勢が上向きになるまで、徹底して話し続けた。
従って会議は大幅に遅れ、深夜まで延々と続いた。途中、夜の8時ごろを過ぎれば、近くの食堂から素うどんを取り寄せ、全員で食べてから、さらに会議は続いた。そんな場を通じて、稲盛の考え方が京セラの社員一人一人の心底に届き、組織風土として定着した。
このことを稲盛は「フィロソフィの共有」、または「魂の転移」と呼んだ。相手にわかってもらおうと必死に語ると、自分の顔は次第に青ざめていくが、聞く側は顔が紅潮してくる。「語る」とはそういうことだ、自分の魂を相手に移すくらいでなければ伝わらないと、稲盛はよく話したものだ。
稲盛は魂の存在を信じ、自らの魂を磨くことが人生の目的であると考えていた。仕事に打ち込むことは厳しい修行にも似て、魂を磨くための格好の行為であるとも考え、現世で仕事に精励することを求めた。また、輪廻(りんね)転生を信じ、死とは魂の新たな旅立ちであるとも考えていた。そのため、稲盛が仏門に入ったとき、私は少しも奇異に感じられなかった。
私事で恐縮だが、京セラの社長に就任して間もない頃のことをお話ししたい。1989年4月のある日、午前5時ごろのこと、私は自宅で心筋梗塞のために倒れ、病院に緊急搬送された。すぐに手術が始まった。
どのくらいの時間が経過したか、私は桃源郷のごとき世界にいた―春爛漫、まっすぐと続く一筋の道を数人の仲間と歩んでいる。道の両側には満開の桜並木が続き、小鳥のさえずりが優しくこだましている。まさに、陶酔(エクスタシー)の世界を彷徨っていた―。
そのとき、医者の「あー。心臓が止まった!」という緊迫の声が響き、同時に強烈な電気ショックを胸に受けた。
不思議なことに、このとき慌てふためく医者や看護師たちの姿、また手術台のそばに並ぶ数台の医療機器に映る心臓波形まで、私は目隠しをされているにもかかわらず、はっきりと確認できた。また、その視点はベッドで横になっている自分のものではなく、上方から手術室を俯瞰するかのようであった。
数日後、稲盛が私を見舞ってくれた。幽体離脱のような体験を話したところ、稲盛は病室の天井を指さし、「手術室のあそこから、おまえの魂が見ていたんだ」と話した。その言葉は確信に満ち、目は笑っていなかった。
この世で磨かれた魂が、肉体を失っても、来世で生き続けると考えていた稲盛は、死を一切恐れていなかった。今も、来世で魂を磨き続けているに違いない。
写真:社長就任の頃の伊藤と稲盛