Facebookアーカイブ

経営方針発表会の始まり

260115-1.jpg

1967年115日、稲盛は社長就任から8カ月後に、初めて「経営方針発表会」を実施しました。創業以来、毎年年初には社員を集め、その年の売上目標や事業の方向性、経営の進め方について「所信表明」という形で発表を行っていましたが、社長就任を機に、これを「経営方針発表会」としました。

それはなぜだったのでしょうか。

1960年代に入ると、経営計画を策定し、「経営方針」という形で発表する会社が現れ始めました。中でも京セラの最大顧客であった松下電器の経営方針発表会は、その規模の大きさで有名でした。仕事を通じて同社と関係が深く、また松下幸之助氏を敬愛していた稲盛は、松下電器の取り組みに倣おうとしたのかもしれません。

いずれにしても、稲盛はこの経営方針発表を通じて、全社員に「世界一のファインセラミックスメーカーになる」という夢やその年の目標を浸透させ、実現に向けて社員のベクトルを合わせようとしたのです。

1967年の経営方針発表会では、現在の「京セラフィロソフィ」の原型となる「京セラ精神」が箇条書きで示されました。そこには、「京セラはこのような考え方のもとに経営を行い、このような会社にしていきたい。社員にもそのように行動してほしい」という考え方や行動の規範が示されています。(写真2枚目)この「京セラ精神」がその後何度か推敲・整理を重ねて完成し、それをもとに現在の「京セラフィロソフィ」ができ上がりました。

京セラの経営方針発表会は、多い時には、京都・鹿児島・東京の3カ所で開催され、稲盛をはじめとする主要役員は、多忙な中でもすべての会場に出席し、同じ内容の発表を行うとともに、社員と意見交換を重ねながら、全社の意識統一を図ってきました。

写真
1:経営方針の原稿(1967年)
2:京セラ精神(1967年)
3:経営方針発表会の様子(1968年)

260115-2

260115-3