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稲盛和夫の生涯㉓ 切削工具事業への進出

京セラの主要事業の一つである切削工具事業の歩みは、1970年代にさかのぼります。
切削工具とは、金属加工機械に取り付けられる刃先のことで、自動車や機械部品の製造に欠かせない存在です。セラミックスは高硬度、耐摩耗性、耐熱性に優れることから、金属加工用工具の材料として大きな可能性を秘めており、稲盛は京セラ創業以前からその将来性に着目していました。
1971年1月、稲盛はドイツのフェルドミューレ社を訪問し、同社の納入先であったダイムラー・ベンツ社のエンジン生産ラインを見学します。そこで目にしたのは、刃先を真っ赤にしながら超高速で自動車部品を加工するセラミック切削工具でした。稲盛は、「高速加工の分野ではまだ遅れている日本も、やがて大量生産時代が到来すれば、セラミックスの切削工具は必ず普及する」と確信します。そしてこの経験を機に、後発ながら切削工具事業への参入を決意したのです。
同年3月には技術者をフェルドミューレ社へ派遣し、本格的な技術習得を開始しました。しかし、言語の壁に加え、日本での生産立ち上げは困難の連続でした。設備の輸入や製作、製造方法の確立など、あらゆる面で高度な技術力が求められました。
そうした挑戦を経て、1973年4月、京セラ初のセラミック工具「セラチップW」と「セラチップB」を発売しました。その後、加工中の振動によって刃先が欠けやすいという課題に対し、セラミックスと金属を組み合わせた複合材料「サーメット」を採用。1976年に発売したサーメット工具「セラチップN」は、高速加工性、長寿命、優れた仕上がり、そして価格競争力が高く評価され、大ヒット商品となりました。
一方、販売面でも流通システムを一から構築する必要がありました。稲盛は先頭に立って協力企業への働きかけに奔走します。当時は先行企業が苦戦していたこともあり、依頼に訪れた会社では、京セラの参入に反対する声もありました。しかし、事業の将来性について熱く語る稲盛の姿に「鋭い眼光を持ちながらも、好感の持てる吸い込まれそうな目に惹かれた」と協力を得ることができました。
その後、代理店・特約店を通じた流通販売を採用し、さらには業界初となる「販売感謝金制度」を導入。販売店との強固な信頼関係を築きました。
こうした製造と営業の不断の努力により、後発だった京セラの切削工具事業は急成長を遂げ、1979年には月商1億円を達成しました。稲盛の先見性と挑戦する精神、そして全社員のたゆまぬ努力によって育まれた切削工具事業は、京セラグループの基幹事業の一つとなっています。
写真
1枚目:セラチップW
2枚目:セラチップB
3枚目:セラチップN
